あそこにあるのがダイヤの城。
で、あっちが帽子屋屋敷。
時計塔がある場所が中立地帯で、あっちにあるのがスペードの館。
あ、ダイヤの城とスペードの館は初めて?
城には女王様と黒ウサギさんがいるよ。
館には今俺一人。
本当なら館にはあともう二人役付きがいるんだけど、催し事が終わったばかりで地下に引きこもってるんだよね。
まぁ運とタイミングが良ければ会えるよ。
今は会えない役付きだと思ってくれればいいから。

「大体こんな感じ。どう?質問は?」

ボリスの言葉に、アリスはぐっと唇を噛み締めて黙り込んだ。
引っ越し?どうして?このタイミングで?

アリスはただ、少し疲れてしまったから……
悩みを整理するために森に来て、うたた寝してしまっただけ。
たったそれだけの間に起こった引っ越しに、アリスの心は折れる寸前だった。

この国いる役付きは、アリスの事を知っているという。
自分ではない自分が昔ここに存在していたと。
それだけでも摩訶不思議な説明だったが、この世界に馴染みかけているアリスにはそれが事実だということも認識していた。
全てがアリスの常識を斜め上いく世界。

「帽子屋屋敷には、ブラッドとエリオットがいるの?」
「うん!ボスとひよこウサギがいるよ。あとは僕ら門番!」
「お姉さん、前の国ではうちに住んでたんでしょ?じゃあうちにおいでよ!」

賑やかに騒ぐ双子の姿は大人だ。
「この国では子どもじゃないの?」と尋ねると、もう長い事大人の姿でいるという。
「子どもだったのは昔の話!」と笑った双子は、アリスの知っている双子よりもよほど大人染みていた。
まるでタイムスリップして未来に来てしまったような感覚に、アリスはぎゅっと心臓を締め付けられる感覚を覚える。

「館の二人は今会えないし、多分あんたが知らない役付きは城の人たちだけじゃないかなぁ」
「……そうみたいね」

でも向こうは、私の事を知ってるんでしょう?

そう尋ねると、ボリスは何でもないことのように「そうだよ」と明るく言った。
国全体を見渡せる丘の上で、アリスはボリスと双子に囲まれながら涙を堪える。

「とりあえずお姉さんはさ、ちょっと国を見回ってきたらいいよ」
「そうだね、兄弟。お姉さん、屋敷に滞在するでしょう?ボスには僕らから伝えておくからさ」

大人な発言をする双子に、アリスは更に涙腺を緩める。
アリスが知ってる双子はもっと子どもで、自分勝手で、こんな風に人に気を使うような子じゃなかったのに。
もう少し落ち着きなさいと何度注意したか分からないが、今のアリスにはその変化さえ心が軋む。

「あ、俺が案内するよアリス!丁度暇してたしさ、俺も、あんたが滞在するなら帽子屋屋敷がいいと思う」

まぁ、決めるのはあんただけど。

ぽんぽんっと頭を撫でられて、アリスはよく分からない気持ちになった。
あらゆる変化に頭と心が追い付かなくて、とにかくひたすらに拳を握りしめる。

「大丈夫だよ、アリス。この国でも楽しくやれるって」

――――帰りたい。

どこに?
そんなの分かりきっている。
アリスが帰りたい≠ニ思うのは、もう随分昔から――





□■□





「で?肝心のお嬢さんはチェシャ猫と国を回っている、と」

門番の報告に、ブラッドは紅茶を傾けながら溜息を吐いた。
「アリスも大変だなー」と呟き、オレンジ色の物体にフォークを突き刺しているのはエリオットで、使用人達は「余所者のお嬢様なんて懐かしいです〜」とどことなく浮足立っている。

「ねぇ、ボス。滞在させてもいいよね!」
「余所者のお姉さんなんて久しぶりだよ。遊んでもらわなくっちゃ」

「てめーらはもっと真面目に仕事しろ!」

エリオットの怒声に、門番も負けずと言い返す。
いつもの光景だが、いつも以上にだるい光景だとブラッドは思った。

余所者。
アリス=リデル。

確かに懐かしいとブラッドは思う。
だがブラッドにとってはそれだけだ。
懐かしいだけ。
これが――あの時あの時間を共に過ごしたアリスならば、心動いたかもしれない。
だが今この国にいるアリスは別軸を生きていたアリス=リデルで、今の自分には何一つ関係がない。

正直、面倒だとすら思う。



「で?どーすんだよ、ブラッド」
「……何がだ」
「屋敷に置くのか?俺は別に反対じゃねぇけど」
「……まぁ、構わないが。その余所者のお嬢さんがここに滞在したいと言うのなら、好きにすればいいさ」

気だるげにそう言うブラッドに、エリオットは肩を竦める。
明らかに興味のないものを見るような主の目に、エリオットは再度「アリスも大変だな〜」と呟いた。

ちらりと、ブラッドは視線を左へと逸らす。
目を閉じて淡々と紅茶を口に含む彼女≠フ姿を見て、ブラッドはようやく口元を緩めて「嫌そうだな?」と囁いた。

カチャリとカップをソーサーに置いて、彼女は不機嫌そうな顔でブラッドを睨みつける。
その水色の瞳が何かをブラッドに訴えようとしていたが、彼はふっと視線を逸らして「退屈はしなさそうだ」と――さっきとは打って変わって楽しげに言葉を呟いた。


「――――最悪だわ」


左隣から聞こえてきた声に、ブラッドは「そう邪険にしてやるな」と言う。
どの口が言うかと不機嫌丸出しの声を出す彼女に、「君に何か不都合があるかな?」と笑うと嫌そうに顔を歪めて押し黙る。

「まぁ……私も同じ状況になったら、とてつもなく不愉快だろうがな」
「えぇ、そうでしょうとも。貴方が不機嫌にならないはずがないわ」

彼女はふっと目を伏せて、カップを包み込む両手に力を入れた。
それをじっと見つめていたブラッドだったが、「君が嫌なら滞在などさせないぞ?」と彼女の栗色≠ノ手を伸ばす。

「……ここ以外は物騒だわ」
「……その認識はどうかと思うぞ?一応ここは、マフィアの本拠地だ」
「でも城に言ったら氷付けにされるかもしれないし、シドニーは短気だし、ボリスの所は安心だけど、今彼あの館に住んでるでしょう?あの館は余所者にあんまり良い場所じゃないし、って考えたら時計塔も考えものだわ。この世界に来たばかりの余所者ならともかく、馴染み過ぎてる余所者が時計塔にいるのは良くないと思うの」
「毛嫌いしているわりには心配性じゃないか。私は余所者のお嬢さんが氷付けにされようと、発砲されようとモンスターに食い殺されようと、はてまた真相にたどり着いて元の世界に帰ろうが監獄に囚われようが――どうでもいい」
「貴方は貴方で薄情過ぎだわ」

ブラッドは「当然だろう」と鼻で笑う。

「姿形と名前が君と同じなだけだ。君でない人間に優しくしてやる義理もない」
「……貴女が珍しくて気に入っていた余所者≠ネのに?」
「勘違いしてもらっては困るな。余所者だから興味を持ったことは認めるが、余所者だから気に入ったわけではない」

君だから――気に入ったんだよ?私の奥さん?

ブラッドの指が、自身の頬を滑る。
「余所者は誰からも愛されるそうよ」と言えば、「今ならその常識を覆すことができそうだ。殺すか?」という返事が返ってきた。
女はぱしんとブラッドの手を叩き落として、がたりと椅子から立ち上がる。


「……止めて頂戴。普通に滞在させてあげればいいわ」

「気分が乗らないから部屋に戻るわ」と歩き始めれば、「では茶会は終了だな」とブラッドが笑う。

「エリオット。あとはお前達で好きにしていろ」
「ん。りょーかい。猫がアリスを連れてきたら、とりあえず連れて行くな」
「ついでに仕事も用意しといてやれ。あのお嬢さんのことだ。働きたいと言い出すに決まっている」
「はは!そうだな!」


明るいエリオットの声に胸を痛めながら、すたすたと夜の庭を歩く。
本当は早足で歩いたって無駄なのだ。
どうせすぐ夫は追い付いてくるし、自身の自室は夫の自室。
逃げ場なんてどこにもないから、一人でだって泣けもしない。


「――そんな風に泣き出すくらいなら、殺してしまった方がいいとは思わないか?アリス=v

突如耳元で囁かれた低音に、アリスは「馬鹿!」と声を張り上げる。


「私が血生臭いこと嫌いなの知ってるでしょう!?」
「だが、愛する妻を泣かせるような存在を私が放っておくと思うか?」
「うるさいわね、自己嫌悪よ!!」
「あぁ、君お得意のな」

何だ。何がそんなに気に入らない。
余所者の君が、この国に墜ちてきただけだ。

ブラッドがそう言うと、アリスは「余所者だからよ」とその水色の瞳から涙を零す。

「だって貴方…っ余所者の方が、っ」
「私の妻は君だが?」
「しんぞっ、もうな、い」
「君の心臓は随分前に私が貰った。二つもいらない」
「――――っ」

「はぁ……何を気にする必要がある。自分の屋敷に抱えて自室に呼びこんで、結婚したいと思ったのも実際結婚式を二回も挙げた女は君だけだ」

余所者の君に興味などない。
共に過ごした時間が違えば、それは君じゃない。
心臓がある分私たちとは違う特別な存在だが、私の特別は君だけだ。
大体――――

「こんな事で不安になって泣く可愛い奥さんを、捨てるわけないだろう?」

「そんなの…!分からないじゃない!貴方気まぐれだし!それに、相手は私だもの!余所者の私が貴方を好きになっちゃったらどうするのよ!!!」
「何だその面倒くさい展開は。そんなことになったら君にバレないように殺す。面倒は嫌いだ」

ぐずぐずと泣くアリスを、ふわりと抱きかかえてブラッドは自室へと向かう。
首筋に縋りついて泣く妻が堪らなく可愛いと思いながら、優しい声で「何も心配ないよ」と囁いた。


「余所者じゃなくても、君が君なら何でもいい」

私が愛した女は君だ。


甘ったるい言葉に、アリスはぐすんと鼻を啜る。
抱きかかえられて、頭一つ分見下ろす形になったブラッドの表情に柔らかく、アリスは思わず渾身の力でその首筋に縋りついた。



「浮気したら死んでやる」

「あぁ、殺してくれ」



君が、貴方が、いなくなったら生きていけない。



ブラッドとアリスは、お互い狂おしいほどそう思っている。



見下げた世界はとても大きくて

material from Quartz | title from Abandon | design from drew

拍手ありがとうございました。

2015.11.18