最低な男に恋をした自覚はあった。
自覚があったからこそ認められず、自覚があったからこそ認めたくない。
気付き自覚しただけでも頭を抱えているのに、心の底からそれを認めてしまえば、壊れそうなのは頭だけじゃなくなってしまうからだ。
「機嫌が悪そうだな、アリス」
「……愉快ではないわ」
最低な男の隣で、アリスは無表情のまま本を捲る。
内容はいまいち頭に入ってこないけど、真剣に読んでいるフリでもしないとやっていられなかった。
そんなアリスの長い髪を、ブラッドは「ふーん?」と呟きながらくるくると弄ぶ。
「引っ張らないで」と言うことさえ億劫だった。
どうでもいいから早く時間が経てばいい。
昼、もしくは夕方。
この男が積極的に活動しようとしない時間帯ならなんでもいい。
「本当に――余所者というのは面白いな」
余所者――
言われた単語に、アリスは一瞬ぴくりと眉を顰める。
それにブラッドが気付いたか気付いてないかは分からないが、彼は愉快そうに口元を歪めた。
「いい拾い物をした」
楽しそうに――本当に楽しそうに身体を寄せてくるブラッドに、アリスは「邪魔しないで」と冷たく言葉を放つ。
余所者。
拾い物。
あぁ本当に最低な男だ。
だがこんな男に二度としないと決めていた恋をした自分はもっと最低だ。
余所者は珍しくて興味深いから、ブラッドはアリスを手元に置く。
それだけじゃ飽き足らず執拗に身体を暴かれて、アリスの身体はいつからかアリスだけが知り得るものではなくなってしまった。
そう考えて、アリスは心の中で歯を食いしばる。
私は私のものなのに、これではまるでブラッドのもののようだ。
手頃で体の良い玩具。
飽きたら捨てられる玩具。
ブラッドにとってアリスという存在はそんなもので、それを分かっているからこそ、アリスは絶対に自分の恋心を肯定できない。
夢なら早く覚めなさいよ――――
本を取り上げられ、ソファに押し倒され、スカートの裾をたくし上げられながらアリスはそう思った。
頭の中で、部屋に置いてきたはずの小瓶がちゃぷんと揺れる。
もう半分以上溜まった小瓶。
あれが何なのかは未だに分からないが、分からないけれど――何故かどくんと心臓が跳ねて、アリスは「ちょっと、」とブラッドの肩を押す。
「何だ?」
「何だじゃないわよ。私次の時間から仕事が――」
「そんなもの、放っておけばいい」
「そんなわけに――」
いかないでしょ、という言葉を飲み込まされる。
深く口付けられた唇は熱く、自身の頭を支える彼の手は強い。
(最低だわ)
うっすらと目を開ければ、彼の翡翠の瞳はしっかりとアリスを映していた。
その目はあまり見つめていたいものじゃなくて、思わずぎゅっと目を瞑る。
(最低だわ)好きだ
(最低だわ)嬉しい
アリスは歪んでいる。
ブラッドを拒否するくせに、ブラッドに飽きられるのは嫌。
最低だと相手を罵るくせに、受ける行為は甘美的。
だが彼にとっては暇つぶしでしかないという現状に、アリスはぐっと涙を堪えて意識を遮断した。
(―――時間が止まればいいのに)
今思うと、それはこの世界で何と馬鹿馬鹿しい願いだっただろう。