「今この瞬間から――全ての取引を中止して頂きます」

「……………」

「異論は認めません。これは墓守領にも守って頂くことです」

教会の応接室で、シスターを数人を背後に控えさせた女が淡々と告げる。
「これにサインを――」とシスターの内の一人が差し出してきた書類は、今後の取引に関する誓約書だ。
にっこりと微笑むそのシスターをぎろりと睨み付けるも、金色の髪が美しいそのシスターは笑みを深めるだけで何も言わない。
すぐに上司の元へと踵を返し、(厄介な…)と帽子屋・ブラッド=デュプレは大きく舌打ちをした。

「…呑めると思っているのか。この条件が」
「呑める呑めないではなく、呑んで頂きます」
「墓守領は同意したのか」
「貴方が同意すれば同意すると…」
「では、私はあちらが同意したら同意することにしよう」
「それはいつまで経っても決まりません。そもそも、事の原因は貴方の所の門番です」

苛立ちを隠せない帽子屋に対して、意見する教会の主は優雅に紅茶を飲んで落ち着いている。
これが他領土の領主であれば教会の主も心を引き締める所だが、今相手にしているのは帽子屋…
気心が知れすぎているし、彼が自分に対して害を成してくることなどまずあり得ない。
同時に、裏を掻くことも決して不可能。

「どれほど大事な取引だったが知りませんし知りたいとも思いませんが、一般人を巻き込み過ぎてる」
「そんなもの――」
「いつものことだとか、代わりはいるとか口に出したら離婚よ」
「―――」

教会の主。魔女・アリス=リデルの言葉に、ブラッドは押し黙る。
背後ではエリオットがおろおろと困っており、その他の部下達も不安そうに会談を眺めている。
彼女に対して武器を構えることはできない。
構えた瞬間上司のマシンガンで蜂の巣にされる。

アリスは魔女。教会の主であり、帽子屋・ブラッド=デュプレの妻である。
帽子屋屋敷の女主人。帽子屋領における、ブラッドの次に権力を持つ女。
こういう時…帽子屋領は不利だ。
魔女と親好が深すぎる分…突っぱねたい案件を力で突っぱねることができないと、エリオットは頭を抱える。

「しかしだな、奥さん…」
「しかしも何もないわ。あれほど気をつけてねって私言ったでしょう!?」
「いやだがそれは…」
「貴方が面倒くさがってディーとダムの面倒を見てないからいけないのよ!」
「っすまねぇブラッド!俺があのガキ共を見張ってなかったばっかりに…!」

悲壮なエリオットの声に、アリスの目つきが冷たくなる。
アリスの目が、この期に及んでエリオットに責任を押しつけるつもりか、とブラッドに問うていた。
そんな妻の視線を、ブラッドは真正面から受け止めることができない。

「取引は中止してもらいます。しない場合は、その取引の現場において死人が出た際、全ての制裁を貴方に被ってもらいますから」
「!!」

制裁という単語に、ブラッドの顔が青くなる。
魔女の能力は強力な精神干渉だ。
魔女の定めたルールに逆らった人間には制裁が下される。
能力が精神干渉なので事例は様々だが、前任魔女のルールを破った際には、ブラッドの紅茶が全て灰に変わった事もある。

今、この国には魔女の季節≠ェ訪れている。
引っ越し後に開催が義務付けられている会合や、定期的に国の主催者が開く舞踏会や恩赦のサーカスとは勝手が異なり、魔女の季節≠ヘある一定数以上の時計が動かなくなっていると訪れる季節だ。
この間は争いごとと言うより命を奪う行為が禁止されており、時計屋にとっては時計の修繕と復旧で一番忙しい季節とも言える。
魔女は一般人に懺悔室を開放し、領民たちの不平不満を把握し他領土の役付きに改善を求めるという、何とも偽善的な催しが開かれるのが本来の通例。
今回ももちろんその例に倣っている。

魔女の季節≠引き起こしたのは帽子屋屋敷の門番達。
彼らが人を殺しすぎたせいで、時計の数が一定数を下回ってしまった。
命を奪う行為を禁止している季節なので、それを破った時点で制裁はある。
が、それは殺した人間個人に降りかかる制裁であるため大元を経つことはできない。
命じた人間には何一つ制裁が下らないため、何だかんだとこの季節も人は死ぬ。

これ以上死者を増やされては困ると、アリスが今回打開策として決めた決定がこれだ。

「マフィアの仕事は一切休止。守れない場合はトップに制裁」
「………」
「この国にある全てのマフィアに守ってもらいます。まずは、帽子屋ファミリーから」
「…墓守領が、」
「帽子屋がサインしたらサインすると言質を取っています。次の時間帯に会談を控えているからご心配なく」

ブラッドは逃げられない。
従いたくなくても従わなくてはならない。
何故なら相手は己の妻。
前任魔女のように、発砲して突っぱねて終わりというわけにはいかないのだ。

「ブラッド、サイン」
「…私にメリットがないだろう」
「組織の利益としては大ダメージでしょうね。でも他も一緒よ」
「他などどうでもいい。問題は私の利益だ」

組織としての利益もなければ、私の奥さんはこの時期多忙。

「退屈だ…これから何を糧にしろと…」
「……ほんっとうに自分のことばかりね」

呆れたと言わんばかりに溜息を吐くアリスに、ブラッドは盛大に顔を顰めた。
部屋の気温が下がっていくのを実感しながら、アリスは「夫婦のことは後で決めましょう」と言って書類を指先で叩く。

「とりあえずサインして。貴方の楽しみについては後で一緒に考えましょう」
「………」
「睨まないの。なるべく譲歩するから、このルールには従って」

渋々と言った形で、ブラッドはペンを手に取り書類を読む。
この季節のルールは魔女。
発砲して突っぱねようとも、最終的には妥協案でサインはしなければならない。
今回アリスの妥協案は、ブラッドの楽しみを作るという約束だ。
顰めっ面でサインするブラッドの背後で、エリオットがほっとしたように口元を歪める。
しばらくは彼も休暇が取れるだろう。








「はい、ありがとう。今回はこれで終わり」

サインした書類をアリスがチェックして会談は終わる。
やっと終わったーとブラッドの部下達が部屋を出て行く中、アリスはブラッドに「教会内の私の部屋にいてね」と告げた。

「あと3時間帯は教会で仕事なの。屋敷に戻って話し合うには時間がかかるから…いいわよね?」
「…分かった。待っている」

一人教会内の奥へと歩いていくブラッドの背中を見送りながら、アリスは困ったなぁと沈痛な面持ちで書類を部下へと手渡した。




「ねぇ…」
「はい?」
「私、これから寝る時間あると思う?」
「惚気にしか聞こえませんけど…ご愁傷様ですとは申し上げますわ」

手錠か薬かコスプレか…何が来てもおかしくありませんわ。

平然とそう告げる部下にアリスは真っ赤になりながら、「ディーとダムのせいよ」と己の運命を呪った。


結局、この季節一番損をするのはアリスなのだ。



帽子屋と魔女

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役付き同士。対立することもあります。

2015.08.16