「また喧嘩したの?」

呆れたようにそう言った部下に、アリスは「放って置いて」と素っ気ない返事を返す。
「ブラッド様も大変ね」と呟いた彼女の口ぶりが自分を責めているようにしか聞こえなくて、アリスはますます殻の中へと閉じこもる。



アリスと部下の付き合いは長い。
何かにつけて平凡で…贔屓目に見ても中の上辺りのアリスに比べて、彼女は10人居れば10人が振り返るほどの絶世の美女だ。
ウェーブのかかった、くもり一つない金色の髪。
見える素肌は白く滑らかで、身体のラインもビバルディと大差ないほど。

これではどちらが上司でどちらが部下か分からないと…いつだったか笑った人間もいた。
だがそういう輩は大体その時間帯の内、もしくは次の時間帯には死んでしまっていることが多い。
夫がやったのか、部下がやったのかはアリスに分からないが、その行動でさえその通りだ≠ニ言われているようでアリスには居心地が悪かった。

「今回は貴女が悪いでしょう。3時間帯で戻ると聞いていたのに、5時間帯も…」
「だってそれはエースが…!」
「はいはい、言い訳ね。どちらにせよ約束を破ったのは貴女じゃない」
「それは……」
「ブラッド様がお怒りになるのも無理ないわ。人妻が一人の男と何時間帯もふらふらと――」
「まるで私が不貞をしてみたいに言わないで!」
「勘ぐられたっておかしくないでしょう?男と女なんて1時間帯もあれば寝られるんだから」

涙目で部下を睨み付けるアリスに対して、部下の目は冷たい。
彼女の言うことは正論だ。ちょっと行き過ぎている所もあるが大体は正論。
真面目で賢く、ブラッドにも認められている彼女はいつだって正しい。
感情の切り替えだって上手だ。
命じたことないが、情報収集のために身体を使うこともあると聞いている。
何度もそれは辞めて欲しいと言ったが、はたして今は、それを聞き入れてくれているのかいないのか…

「こんな所で泣いてる暇があるのなら、謝りに行けばぁ?」
「…何よ、その言い方」
「だってムカつくんだもの。うじうじうじうじ…ブラッド様に捨てられないからって甘えすぎよ」
「っ別に甘えてなんて――!」
「甘えているでしょう?自分は何をしたってブラッド様に捨てられないって自信、ないとは言わせないわ」
「っ」
「こんな所で拗ねて泣いているなんて、それこそ甘えてる証拠じゃない。ここにいれば、迎えに来てくれるって思っているんでしょう?」

咲き誇る白薔薇。
ブラッド=デュプレがアリス=リデルのために作った薔薇園。
屋敷の隅の一角に、人目を隠すように作られているこの場所は美しい。
真っ白な世界だ。全てを白で埋め尽くし、穢れのないアリスに相応しい薔薇園。

存在は皆が知っているが、訪れる者は少ない。
作られた当初こそ興味本位で見に来る者もいたが、今では立ち入らないことが暗黙の了解となっている。
別に咎められるわけではないのだが、この美しい空間に気後れするものは多い。
こうして遠慮もなしに立ち入るのは、当人達以外であればこの部下くらいのものだ。

「甘ったれるのもいい加減にしたら?何でもかんでもブラッド様が折れてくれるからって」
「別にそんなこと」
「あるでしょう?貴女は頑固だし、融通効かないし意地っ張りだし…まぁそれはブラッド様も同じだけれど。惚れた弱みってやつなのかしら?あの方、貴女には甘いものね」
「………」
「良かったわね、愛されていて。端から見ていても分かるわ。尤も貴女は、それほどブラッド様を愛していないようだけれど――」
「愛してるわ!!!」

ちゃんと愛してるわよ!!
世界で一番!!じゃなきゃ結婚なんてしないわ!!!
いつだって特別に想ってるしブラッド以外なんて考えたこともない!
私の方がブラッドを好きよ!!
ブラッドなんかより、全然私の方がブラッドのことを好きだもの!!!

叫ぶ上司に、部下はわざとらしく溜息を吐く。
何度も言うが呆れているのだ。
彼女は全く進歩しない。我が儘なのは、ブラッド=デュプレだけじゃなく彼女だって折り紙付きだ。

「そうやって――ブラッド様の愛を試すの、やめたら?」
「なに、よ…それっ」
「泣かないでよ。私、女の涙って大嫌い。引っぱたいてやりたくなる」
「………」
「試してるんでしょ?迎えに来てくれるかどうか。ちゃんと愛してくれているかどうか」
「………」
「我が儘。だから甘ったれって言ってるの」

甘えすぎなのよ。
愛される努力くらいしてみたら?
しなくたって愛されてるのは明白なのに、これが甘ったれじゃなくて何なのよ。



「――ブラッド様に無碍にされてる、他の女が報われないじゃない」
「――――」
「貴女も?って顔しないでくれる。私、そこまで愚かなじゃないわ」

プライドだって、高いのよ。

金色が風に揺れる。
黒のロングドレスが白の薔薇園では浮いて見えたが、それでも彼女は美しい。
役の無い人なはずなのに、アリスには彼女の顔がはっきりと見える。

「約束を破った貴女が悪いわ」
「…そうね」
「それを咎めたブラッド様の言い方も大概どうかと思ったけど…」
「ごめんなさい…あの言い様にカチンときたのよ。でも発端は私だから、謝るわ」

ぐすんと鼻を啜って立ち上がるアリスの腕を部下が引く。
よろけながらもようやく立ち上がったアリスは、ゆっくりと薔薇園の外へ出て屋敷の方へと向かっていった。



その後ろ姿を、部下はじっと見つめて溜息を吐く。
この時間帯で何度目か。
上司の夫婦関係に口を挟んだところで給料など出ないのに。
それでも放っておけないのだから…アリスは不思議だと彼女は思う。





アリスと彼女の出会いは最悪だった。
彼女にとってではない、アリスにとって最悪だった。
それが気がついたらこんな風に信頼関係を築き合っているのだから、人生何が起こるか分からない。

彼女にとって、いつしかアリスは特別だった。
余所者だからじゃない。
出会った時は確かに余所者だったけれど、今の彼女は余所者じゃない。

アリスだから特別だった。
アリス=リデルだったから……自分は全てを許し忘れる≠アとができた。

アリスを特別に想う者は多い。
役付きにしろ役無しにしろ、彼女は人を惹き付ける。

だがそれでも――

いつだって自分が、彼女を理解し彼女に仕え、支え続けたいと――


切に願っている。



魔女と月蝕

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アリスの美しい金色。一番部下。コードネームは月蝕-つきはみ-

2015.08.16