まるで喪服を思わせるような黒のロングワンピース。
一つに纏められた栗色の髪には、同じく黒のチュールが装飾されたトークハットが乗っている。
葬儀屋とはまたベクトルの違う死の管理者≠ナある彼女の正装姿。
「それは…喪服か?」と聞けば「喪服よ」とあっさりした返答が返ってきたのはどれくらい前の出来事だっただろう。
少なくとも思い出せるほど近い過去ではなく、最早見慣れたと言っても過言ではないその姿は彼女の白い肌が一層際立って見えた。


「ねぇブラッド?」
「何かな、奥さん」
「最近うちの領土に出来た寝具店あるじゃない。知ってる?」
「ん?…あぁ、君が好きな本屋があるあの大通りのか。もちろん知っているよ。昔からある老舗の店だ。新しくできたというより移転したが正しいな」
「あらそうだったの。この間初めて入ったのだけど、私とっても気に入って……」
「ほう?」

ちらりとブラッドが視線を下げると、どこかぼーっとしたアリスが「私、新しいベッド欲しいのよね」と呟いた。
ブラッドの左肩に頭を乗せ、自分の右手と彼の左手を絡ませる。
お互いの存在を――そして手のひらや指の感触を確かめ合いながら動かし、なぞって、飽くことなくそれを繰り返す。

「ベッド…か?君の?」
「えぇ。でもそれよりまず、私の部屋を作らない?」
「必要が無いだろう。私の部屋で寝起きして、随分長いと思うが?」

ブラッドの手は大きい。普段は手袋をしているので分かりにくいが、指は長く男性にしては綺麗だ。
だが決して細いわけではなく、こうしてなぞっていると案外太くて爪の辺りなど男性らしい。
アリスが勝手に外したブラッドの手袋はいつの間にか地べたに落ちてしまっているが、双方共に拾う気はない。

「そりゃあ…不便してるかどうかと聞かれたら不便はないけど」
「じゃあいいだろう」
「でもやっぱり集中して仕事をしたい時もあるし、自分の好きな本を並べた本棚とか、好みの調度品並べたりもしたいし…」
「私の部屋に置いても構わないと言っただろう」
「駄目よ。ブラッドの部屋はブラッドの部屋っていう雰囲気や味があるんだから、それを損なうのは不本意だわ」

頭を置いているブラッドの左肩にすりっと頬を寄せると、ふわりと香る彼の匂い。
彼の手を弄り倒すことに早々に飽きたアリスだったが、今度はアリスの手をブラッドが撫でる。

「そんなに大きくなくていいの。客室くらいの広さでいいから、執務机があって本棚があって、クローゼットが…3つ?そこにベッドが入れば満足だわ。あとは自分の好きなものを色々置くの」
「もう私のベッドで寝て待っていてはくれないのか?面倒な仕事から帰ってきて、私のベッドで寝ている君を見つめる私の楽しみはどうなる」
「実用的には今まで通り貴方のベッドを使うわ。でも自室にベッドがないっていうのも変でしょう?仕事中に仮眠だって取ることもあるし」

真っ白なアリスの手を持ち上げ、ちゅっとその指先に口付ける。
そのまま舐めて、咥えて、噛んでしまおうかと思ったが、アリスの「ねぇブラッド」という声に、唇を離して視線を彼女の方へと向ける。


「貴方の部屋、ぶち抜いて隣にもう一個部屋を作りましょう?」


そしたら文字通り、貴方と私の部屋よ?

廊下へ続く扉は貴方の部屋にしかないんだから。

アリスを見下ろすブラッドの顔が近い。
今にも唇が触れそうな距離で見つめ合っていると、一体どちらが顔を近づけたのか掠める程度にそれが触れ合う。

「それは―――面白そうな提案だな」

ちゅっとブラッドがアリスの唇に再度触れる。

「折角だからお風呂も作りましょう?子どもができた時のことも考えて」

お返し、と言わんばかりに今度はアリスがブラッドの唇に触れる。

アリスの右手を握りしめていたブラッドの左手は、いつの間にか服越しに彼女の太ももを撫でている。
それをやんわり押し返すアリスの右手だが、彼の左手が止まる事はない。

気が付いたら何度もバードキスを繰り返していた二人だが、それは徐々に深くなり唇を触れ合わせている時間も長くなる。
時折唇を離しながら――うっとりとした表情を浮かべるアリスの頬をブラッドが撫で、彼女のスカートをたくし上げようと手を伸ばしたその瞬間



「ごほぉっ!げほっげほ!も、無理…あたま、頭―――その思考をストップさせろそこの二人ぃぃぃぃぃ!!!!!」



「大丈夫ですかナイトメア様!!」というグレイの悲痛な声が後追いする形でナイトメアの絶叫がブラッドとアリスの耳に入る。
今にも唇が触れそうな距離で一時停止した二人は、片方「邪魔するな」もう片方は「また吐いてるわ」と言わんばかりの冷たい視線で会合の主催者を見つめた。

「こ、ここをどこだと……しかも会議中に!!そういうことは部屋でやってくれ部屋で!!」

ごふっ

だらだらと口から血を流すナイトメアに「ルールがなければとっくに戻っているさ」とため息交じりにブラッドが答える。
あぁだるい面倒だ退屈だ紅茶が飲みたい…椅子に肘をついて眉間に皺を寄せるブラッドに、アリスは未だ彼の肩に頭を乗せたまま「ほんとよねぇ」と呟いた。

遥か昔初めて出席した会合は、出なくてもいいって言われたのになとアリスは思い出す。
あの頃は皆が出席するならと真面目に出ていたし、いくら会議がぐだぐだ続こうとも我慢して座っていたものだ。
あぁ…あの頃の自分を褒めてやりたい。もしくはあの頃の忍耐力が今欲しい。
今ここで参加しなくてもいいと言われたら、アリスは愛する夫を放ってでも自室に戻るか街の散策に乗り出すだろう。
それくらには飽き飽きしている。人前だろうがなんだろうが夫といちゃついてもいいと思うくらいには感覚がマヒしている。

「ひ、暇だからって!!人前で…!破廉恥な!!!!!羞恥心はどうしたんだアリス!!!」
「ナイトメア…貴方、私がブラッドと結婚してどれだけたったと思ってるの?そんなもの抱いていてこの男と婚姻生活が続けられると思ってるの?」
「達観し過ぎだろ!うっ……ごほぁ!」
「ナイトメア様!!」

吐血し続ける夢魔の介護に必死なグレイの後ろでユリウスがそんな二人を呆れたような目で見つめている。
逆にそんな夢魔を恍惚とした表情で眺めているのはダイヤの女王で、それに対して嫌そうな顔をしているのは黒ウサギだ。
更にもう一方ではボリスとピアスが結婚式に呼ばれた呼ばれなかったで揉めている。
引っ越しの関係で一回目と二回目の結婚にピアスは全く関われなかったが、ボリスは二回目の結婚式に参加してくれており、「お、俺も帽子屋ファミリーなのに!!」と半泣きのピアスを見て背後に控えていたエリオットが「そういやあいついなかったな」と今更のように呟いた。
ブラッドがちらりとアリスを見下ろすと、彼女は最初と同じくどこかぼーっとした様子でその光景を眺めている。
力を抜いてブラッドの肩を枕にし続ける彼女は元気がなく、その原因が多少分かるだけブラッドは少し面白くなかった。

「ナイトウェアをね―――――」
「……」
「ビバルディと見に行っていたの」

さっき言った寝具店に。

人の領土で人の妻と何て羨ましいことをしてくれているんだあの×××××女王と思ったが、賢いブラッドは思うだけで決してそれを口にしない。
「そうか」と思わず抑揚のない声が出たが、アリスはそれを気にする様子なく言葉を続ける。

「ブラッドを誘惑するにはアレがいいコレはどうだってビバルディが薦めてくれてたんだけど、露出が多すぎて…」
「………」

あの女の選んだものというのは癪に障る。
それを着たアリスは想像もできないほど魅力的なのだろうと思うが、選んだのがあの女だと思うと何というかこう……
いやでも見たい。見た過ぎる。
どんなナイトウェアなのかブラッドには想像もつかなかったが、それを着たアリスを見てみたいし穢してみたいと思うのは正常な男の性だと思うのだ。

「だから、次に行った時は必ず選ぶからって約束したのよ?それなのに――」

中断した会議が再開する気配はない。
主催者は相変わらず吐き続けているし周囲も適度にだらけきっている。
ついに双子が席を立って猫と一緒にネズミを追いかけまわしているが…止めるのも面倒だとブラッドは放置した。
見かねたエリオットが席を立つのを尻目に、ブラッドは絶賛落ち込み中の妻の後頭部にキスを落とす。


「寂しいのか?」


女王と白ウサギがいなくなって。


ブラッドがそう呟くと「エースもいれてあげてよ」と苦笑を零した妻に、 一瞬キングを思い出したがその一瞬でブラッドは自分の脳内から影の薄い男の顔を叩きだす。
自分は何も考えなかった。思いつかなかった。
寂しげに微笑むアリスの右手に自分の左手を絡めながら「浮気性な奥さんだな」と軽口を叩く。

「浮気性だなんて酷いわ。家族や友人がいなくなったら寂しいものよ」
「…家族ねぇ」
「ペーターは私の家族よ。私が愛した家族の時間=v
「後悔と罪の時間≠ナもある」
「忘れられない時間≠セわ」

貴方だって同じくせに。

声には出さなかったが、アリスの目がそう言っていた。
そうだろう?とブラッドに問うていた。
だがここはクローバーの塔。時間帯は忌々しい昼の時間。
薔薇園でもない場所でブラッドはそれを肯定することはできないし、例え薔薇園であっても素直にそうだと告げられるほど――彼は器用ではなかった。

「ふふ…」

口元に手を当て、くすくすとアリスが笑う。

「私、貴方のそういう可愛い所が好きよ?」

微笑むアリスに「私の奥さんは強すぎるな」と呟くと、「マフィアのボスの妻ですから」と――アリスは自身の頭に乗っているトークハットを軽く持ち上げた。

何度経験しても、引っ越しだけは慣れないとアリスは言う。
余所者の名残りか――自分達と同じ存在になった今でも、アリスは「この世界に代わりの効くものなどない」と言う。
彼女が余所者だった頃を思い出せる人間が、いまここにどれだけいるのかブラッドには分からない。
それほどまでに遠い過去。遠すぎる過去。時間の狂ったこの世界に過去も未来もないが、ブラッドの記憶の中では過去のこと。

余所者だから興味を持った。珍しい存在だったから手を出した。
だが余所者だから好きになったわけじゃない。
珍しい存在だったから縛り付けるために結婚したわけじゃない。

彼女がアリス≠ニいう人間だったから愛した。
結婚した。結婚したかった。
その感情は――今もブラッドの胸にある。

どれだけ時間が過ぎて、巡っても、ブラッドはアリスを愛している。

アリスに変わらない感情があるように、ブラッドもその感情だけは変化しない。



「では私と―――寝衣を買いに行こうか、奥さん?」
「やーよ。何着せられるか分かったもんじゃないわ」
「私を誘惑してくれるんだろう?私の好みが分かった方が選びやすいじゃないか」
「お断りします」

そんな恥ずかしいことは断固拒否!

人前であれほどのことをしておきながら夫に寝衣を選ばれる方が恥ずかしいという妻に、ブラッドは「私も君の…いつまでたっても初々しい所が可愛くて好きだよ?」と囁いた。

頬を赤らめてブラッドを見上げるアリス。
そんなアリスを少しばかり欲の籠った目で見つめるブラッド。

二人きりの夫婦の世界。
その駄々漏れの思考にナイトメアが失神するまであと10秒。



一時の別れと一生の感情

material from Quartz | design from drew

そのうち血じゃなくて砂糖を吐くナイトメアが見たい。

2015.07.26