「面白いだろう?」と楽しげに笑う女の名前はレイシル=エカルラートと言った。
ワインを飲みながらバンバンとテーブルを叩く彼女はそれなりに酔っているようで、かつ上機嫌に新しいボトルを開けようとする。
レイシルの朱みかかった髪がさらりと揺れた。
肩に触らない程度に切り揃えられた髪。
現役モデルだった頃から何一つ変わらない体型は女の自分から見ても惚れ惚れするほどで、特にそのすらりと長すぎる脚は真似しようと思っても真似できるものじゃない。
尤も、顔の造形に関しては自分の方が格段上だと思っているが。


「お気に入りの男を盗られたわりには上機嫌ね」
「あぁ、確かに気に入っていた。できることなら自分の手元で飼いたかったが――」

それより新しい飼い主が中々可愛くて、私はそっちに興味津々だ。

「そう言うルーナこそ、ブラッド=デュプレにはご執心だっただろう?」
「ご執心というほどではないわ。私は弁えていたもの」

「そうか?」というレイシルの微笑みに、シルヴィア=ルーナは無言でワインに口を付ける。


弁えていた、というよりは諦めていたに等しい。
抱かれた数は確かに多いし、気に入られていた自覚もある。
今だって、彼は自分を抱こうとはせずとも傍に置いてくれるし、要所要所ではあるが彼自身の事についても知っていることは多い。
少なくとも、今彼の傍にいる彼女≠謔閧ヘブラッド=デュプレの内情について詳しい。
だがシルヴィアは、それに対して優越感を感じているわけでもなかった。
自分ではあの男は手に負えないと頭のどこかで分かっているし、服従させたいなんて感情は微塵もない。
どちらかというと、道具のように扱われる方が安心する。
一等近くにいて、一等彼を理解できて、ここぞという時に必要とされたい。
女として扱われるのも嫌いではないが、シルヴィアはブラッドの役に立っていたいと思う。
は彼の飼い主を名乗る彼女≠ノ取って代わりたいとは思わなかった。
どちらかと言えば彼の飼い主に対する感情は同情に近い。
執着されている。気に入られている。確かにその通り。
だが彼女は、ブラッド=デュプレに損をもたらす事はあれどの得にはなり得ない存在だ。
そしてそれに彼女が気付いた時、プライドの一つや二つへし折られてもおかしくない。

にやにやと此方を見つめるレイシルに、シルヴィアは眉を顰めて片手を振った。
「貴女が思っているような感情は抱いてないわ」という合図。
恋ではない。愛はある。この身全てを捧げる覚悟もまた然り。
故に嫉妬などは微塵もなかった。何度も言うように同情だけ。
あんな男に求められて、何の感情も抱かなかったら女じゃない。
だが抱いたところで何もできない彼女には、ただひたすらに同情する。


「なぁ、ルーナ。二人でアリスに会いに行こう」
「嫌よ。ブラッド様に叱られるもの」
「どんな女か興味がないのか?」
「……一度だけなら見たことがあるわ。半年ほど前の学園祭で」

長い栗色の髪を持った、平凡な女性だった。
シルヴィアやレイシルとは、それこそ正反対なほど。

「関わるな、と言われたのか?」
「……そうではないけれど、」
「じゃあいいだろう。今度一緒にお茶をしようと約束したんだ」
「――それ本当に約束≠オたの?」


一方的に決めただけなんじゃない?


シルヴィアの言葉に、レイシルは「そう言われればそうかもしれない」と笑う。
それに対して、シルヴィアは呆れたような溜息を吐いた。
彼女のこういうサバサバした部分は嫌いではないが、時折遠慮がなさ過ぎると思うのは自分だけだろうか。
尤も、彼女の行動一つ一つが無意味だったことなどない。
頭のいい女だ。話していても無駄がない。シルヴィアは彼女を気に入っている。
ビジネス上の付き合いでも、友人としても。

ふっと俯けば、自身の金色がさらりと胸元に垂れ落ちた。
自慢の髪だ。ブラッド様に唯一褒めて貰えたもの。
彼の黒には些か眩しすぎる色だが、それが良いと彼は言ってくれた。



『君の名前に相応しいな。ルーナ=x

ルーナ。
ローマ神話に登場する月の女神であり、その名は月を意味するラテン語に由来する。
シルヴィアの眩しいほどの金色と美貌は確かにそれを彷彿とさせ、いつしか彼女をファーストネームで呼ぶ者はほとんどいなくなってしまった。
ファミリーネームであり、レイシルの会社で雇われているモデルとしての名もルーナ
シルヴィアを月の女神と称した彼も、仕事上の雇い主も、果ては学園内や道行く街中でもシルヴィアはそう呼ばれ続けている。

そう呼ばれ続けることを、シルヴィア自身は誇っている。
だってこの名は、彼に貰ったものなのだから。




「やっぱり会いに行こう」


シルヴィアの様子をじっと見つめていたレイシルは、ワイングラスを傾けながらそう言った。
その瞳はシルヴィアを映しておらず、赤々とした液体のみに注がれている。


「ルーナは、一度アリスに会った方がいい」


シルヴィアはレイシルの言葉を侮辱と取った。
何故だかどこか――「劣っている」と言われた気をして声を荒げる。


「嫌よ。馬鹿にしないで」


気にしていない。気にならない。
それは本心だ。
半年前に見た時さえ、それを追いかけていくブラッド様を見た時でさえ、シルヴィアの心は微塵も動かなかった。
シルヴィアには確固たる意思があり、決意があり、覚悟があってブラッド=デュプレに付き従っているのだ。
そこにどんな過去があってどんな想いがあるのかは知らなくても、今彼が作っている組織の中枢に居られるだけで満足だ。
シルヴィアは、自分がアリス=リデルに劣っているとは思わない。
一番大事じゃなくても、一番傍に居て欲しいと思って貰えなくても、シルヴィアは彼女よりブラッド=デュプレの役に立てる。
シルヴィアはそれでいいのだ。
劣っているとは思わない。負けたとも思わない。
シルヴィアとアリスでは立っている土俵が違うのだから。

「馬鹿になどしていない。だが君は会うべきだ」

シルヴィアに不満をぶつけられても尚、レイシルは彼女にそう言った。
視線を上げた先で、レイシルは同情を交えた瞳でシルヴィアを見つめる。
だがその瞳に映っているのがシルヴィアでないことに、彼女は一瞬困惑した表情をした。


「帽子屋とアリスは別れるよ。いずれ、ね」
「……………」
「だが君は――いつまでも彼を居られる」


どちらかの心臓が止まるまで。


「そしてそれは、私も一緒だ。尤も私が出資しているのは君であるから、君が帽子屋の傍にいる限り、という条件はつくが……」
「それが……どうして私がアリス=リデルと会う話になるのよ」


「なんだ。本当に分からないのか?」とレイシルは少しばかり目を見開いてシルヴィアに問いかける。
その言い方はどこかブラッド=デュプレに似ている気がした。
気がした、というより、実際似ているのだろう。
彼女は本当に頭がいい。頭が良すぎて、ブラッド=デュプレと合う所も多かったが合わない所も多かった。
この二人は、両方が両方組織のトップに立つべき人間なのだ。
似ているが故に、相容れない。



「まぁ分からないなら分からないでいい。とにかく私は、会うことを勧める」
「………」
「なに、お茶をしてショッピングを楽しむだけだ。あわよくば、旅行に行きたい」
「……最後のは本当に叱られるから嫌よ」


「よし!決定だ!」そう声を大きくしたレイシルはやはり程々に酔っている。
その目は爛々と輝いていて、酷く楽しそうだった。





□■□





アリス=リデルには、今現在自分の身に何が起こっているのか上手く把握できていなかった。
それと同時に、シルヴィア=ルーナにも自分の現状が上手く理解できていない。
そんな中で、盛大に楽しそうな女が一人――若い男を三人も侍らせて二人の名前を呼んだ。


「ルーナ!アリス!次はどこへ行く?」

「究極に帰りたいのだけど……」


お茶とショッピング、とシルヴィアは聞いていたはずだった。
というかそれしか聞いていない。
しかも聞いたのは三日前の出来事で、もちろん日時の伝言さえなく、こんな早く実行されるととも聞いていなかった。

男を侍らせて夜の街を突き進むレイシルに、シルヴィアは「ちょっと待ちなさいよ!」と必死になって追いかけた。
その右手にはシルヴィア以上に混乱を極めているアリスの左手が握られており、さすがの彼女もこれには同情の一言に尽きる。

夜の街。繁華街。
未成年の女子生徒が歩くには些か物騒な場所だ。
しかも着ている服が名門校の制服なため、その美貌も相まってシルヴィアはかなり目立っていた。
未成年の女子生徒、というのも十分危ないが、シルヴィアが手を引いているのは彼女よりよっぽど人生経験が少ないであろう一般市民。
最初から最後まで目を白黒とさせている彼女は非常に危なっかしく、落ち着いて説明してやろうにも引率者が引率者なため落ち着く暇が無い。


「ちょ、あの、」
「いいからさっさと歩いて。あの女を見失ったら面倒なことになるから!」
「わ、私仕事帰りなんです!帰らないと…!」
「私だって帰りたいわよ!拉致されたのは私も一緒!見てたでしょう!?」

周囲の視線が痛い。
シルヴィアとアリスは酷く場違いな格好をしている。
いや制服姿のシルヴィアと違ってアリスはスーツだが、その身なりよりもむしろ、彼女の挙動が場違いだ。
そんなにキョロキョロと不安そうに辺りを見回していては、いいカモにされるに決まっている。

それが仕方が無いことであることも、シルヴィアには分かっていた。
学校帰りのシルヴィアよりも先に拉致されたらしい彼女は、顔面蒼白とまではいかなくてもそれなりに混乱を極めた表情をしている。


「ちょっとレイシル!お茶とショッピングじゃなかったの!?」
「あー昼間忙しいから無理。ホストクラブ行くか」
「私未成年よ!!?」
「まぁまぁ細かいことは気にするなよ、ルーナ!楽しめ!!」



楽しめるか!!!!!!!!!



声を大にして叫びたい。
だがシルヴィアにはレイシルに付いていくより他に選択肢がなかった。
このまま踵を返して帰りたいのは山々だったが、確実によくない連中に囲まれるであろう未来が簡単に見える。
制服姿のシルヴィアと明らかに場慣れしていないアリス。
この面子で碌でもない連中に捕まったら何されるのかは分からないし、例え傷を負って生きて帰ろうにもシルヴィアは確実にブラッド=デュプレに殺されるだろう。
そもそもアリスを拉致した時点で彼の逆鱗に触れるのは間違いなさそうだし……え?ホストクラブって言った?
そんな所にこの子放り込んでブラッド様に何も言われない!?

絶対バレるに決まってるじゃない!!!!

声を大にして叫びたい第二弾。
シルヴィアの心には嵐が来ている。
被害の想像がつかないほどの巨大な嵐だ。竜巻と言ってもいい。


「あ、あの……っエカルラートさん!」
「ん?レイシルでいいよ、アリス」
「私本当に帰らないとブラッドが…!」
「大丈夫大丈夫。怒られるのは私とルーナだけだ」
「私が入っているのは問題でしょう!!?」


あんただけ叱られなさいよレイシル!


そう叫ぶもレイシルは笑うだけで聞き入れる様子はないようだった。
何という理不尽な連帯責任。
拉致されたのは自分も一緒だというのに理不尽過ぎる。


「あ、そうだ、アリス。今君の手を引いているのはシルヴィアだよ。シルヴィア=ルーナ。ブラッド=デュプレが通う学校の生徒会副会長様だ。あと、私の会社でモデルとしても働いて貰っている。ルーナというモデルを知らないか?それが彼女なんだが……まぁシルヴィアとでもルーナとでも好きに呼んでやってくれ」

「何であんたが決めるのよ……!」



そうこうしている内に引きずり込まれた店は、本当にホストクラブだった。



悪魔が優しくても不都合はない

material from Quartz | title from 模倣坂心中 | design from drew

文字通り。悪魔が優しくても不都合はない。

2016.04.25