(痛い……)

手が、痛い。

縄の痕がくっきりついた手首を見て、アリスはベッドの中で身動ぎする。
「あぁ、痕になってしまったな」という声を耳元で聞きながら、背後から抱きすくめられて「誰のせいよ」と悪態を吐いた。


「そういう気分だったんだ」
「……そういう気分で縛られる私の身になりなさいよ、この変態」
「その割には興奮していたな?いつもより締まり具合が―「100回死ね!!」―君はいつになったら私を殺せるのかな?」

離してよ!と暴れるも、がっちりと自身の身体を拘束する腕は離れそうにない。
二人して、一糸身に纏わぬ状態のそれは酷く恥ずかしく感じ、アリスは顔から火が出そうな気分だった。

大体なんでこんな事になっているのかというと、10日ほど前にアリスがブラッドの紅茶に毒を盛ったのが原因であるのだが、正直な所かなり後悔している。
むしろ殺された方が良かったんじゃないかと思うレベルだ。
こんな――こんな!

毎晩毎晩恥ずかしいことを強要されて、死にたくないと言ったら嘘になる!!
土に埋もれたい……永眠したい。
この行為に慣れてきている自分も嫌だし、毎夜毎夜上機嫌なブラッドを見るのも腹が立つ。


「情事の最中に攻撃してくれてもいいんだぞ?」
「そんな余裕ないわよ!!」

アリスの悲痛な叫びに、ブラッドは彼女の首筋に顔を埋めて肩を震わせる。
くつくつと笑っているその姿、今こそナイフを突き立ててやろうかと思ったが、いつも太ももに装着しているガーターリングはベッドの下に転がり落ちていた。


「この年で、色事の経験がないとは思わなかった」
「未経験で悪うございましたね……!」
「どうりで最初の1ヶ月、そういう仕掛けをしてこなかったわけだ」

珍しいと思っていたんだ。
今までは多かったものでね。

「だが10日もすれば慣れただろう?」と告げるブラッドに、アリスは心の中で(慣れるか!)と絶叫する。
ブラッドから受ける行為は甘美的だ。
最初こそ苦しかったものの、最近では違和感なく受け入れてしまっている。
彼が彼の性欲のため欲望のまま動いてくれたならまだしも、此方の反応が楽しいとアリスに重点を置いて情事を行うのだから堪ったものじゃない。
開発されて、仕込まれていると嫌でも分かる。
初めて男を受け入れ、ブラッドしか知らない身体はたった10日で酷く変わってしまっていた。



「楽しいよ、お嬢さん」
「……私は楽しくない」

ぎゅっと抱き締められて、後頭部にキスをされる。
するすると手首を撫でるブラッドの手は気持ち良くて、アリスは(最低だわ)と一人眉を顰めた。



「――一生飼いたくなってきた」
「馬鹿言わないで。ゲームはどうしたのよ」
「君が私を殺せるまで続けてもいい」
「1ヶ月でしょ。守りなさい」

一生こんなゲームを続けるなんてごめんだ。
文字通り――飼われている≠謔、。
ペットなんて、人間以下の扱いだ。
まだ対等にゲームをしていた最初の1ヶ月の方が、アリスにとってはよほど居心地が良かったように思う。


「もう延長なんて――しないからね」
「………………」

アリスの呟きに、ブラッドは何も返さない。
ただゆるゆると手首の痕を優しげに撫でて、首筋や背中に鬱血の痕を残していく。

それが気持ちいいと――思い始めている時点でアリスは終わっているのだ。
この生活に慣れすぎて、この生活が居心地良いから――



(……駄目に決まってるじゃない)



アリスはいつまでたっても、ブラッドを殺せないのだ。





□■□





「俺は!てめぇなんかぜってー認めないからな!!」
「今日はにんじんクッキーにしてみたの」
「……み、認め――」
「いらないならいいけど」
「………………いる」

「はいどうぞ」と差し出すと、オレンジ色の頭がカラフルな男の周りに、パァっと花が咲き誇るように見える。
なんって分かりやすい男だろうと毎回思うのだが、こうも喜んでくれるのなら毎回お菓子も作りがいがあると思った。



「今日はブラッド帰ってこれねぇから、俺を殺せたらお前の勝ちな」
「最近そんなのばっかりね。忙しいの?」

3日に1回の頻度で、最近のブラッドは帰ってこない。
だがそれでは不公平だからと、己の腹心をマンションに遣わしてくる分真面目と言えば真面目なのかもしれないが、従う腹心も腹心であるとアリスは思った。
そんな事言われても正直やりにくいし、結局アリスはブラッドが帰って来れない日は当初の目的を休むことにしている。

アリスの問いに、彼は「……てめぇなんかに教えられるわけねぇだろ」と、その鋭い眼光でアリスを睨み付けてきた。
だがこのオレンジのお兄さんに慣れきっているアリスは、もう一籠にんじんクッキーを差し出しながら「次はにんじんパイにしましょうか?」と言葉を放つ。


「今すげー忙しいんだよぉ……何の仕事かってのはさすがに教えられねぇんだけど、結構大掛かりな事しててさー、」
「…………」
「うちも組織として若い分、狙ってくる敵も多いしよ?上手くいかないことも多くて大変なんだよー。あ!にんじんパイは、3つ作っといてくれよ!」

1つは持って帰って食う!

底抜けに明るい笑顔を目の前に、アリスは(こんなの、多分敵わないだろうとはいえ殺しにかかれるわけないじゃない)と――この場にいないブラッドに対して悪態を吐いた。
にんじんで餌付けしている分動物虐待の気分になる。
これほど喜んでにんじん料理を食べて貰っているのに、今更毒を仕込むのもさすがに辛い。
自分の良心が痛むのだが……それをブラッドに言えばまた暗殺業は向いてないと言われるんだろうなと思って、アリスはごまかすように紅茶を口に含んだ。


「つーか、お前も結構粘るよなぁ。こんな所に閉じ込められてて飽きねぇ?」
「……閉じ込めてる側が言う言葉じゃないわよ」
「まぁそうなんだけどさ。ブラッドが延長を言い始めた女はお前が初めてだし……気に入られてるんだろ?」
「………………」

気に入られている――のだろうか?
アリスを面白い≠ニ称する男は、手頃な情婦を得られて楽しんでいるだけのような気がする。
根っからのサディストと言うか、アリスに対して「屈服させたい」と言った男のことだ。
蹂躙して、良いように使い回して、それこそ違う嗜好の暇つぶしに興じているだけではないのか。



「別に……そんなんじゃないと思うわ」



気に入られてるとか、そういうのじゃないと思う。



俯き加減にそう答えるも、オレンジ色の男、ブラッドの腹心であるエリオット=マーチは、「そうかぁ?」と首を傾げるだけでアリスの感情の機微など微塵も感じていないようだった。


「ブラッドはずっと手元に置いときてぇみたいに言ってたし、お前頭もいいんだろ?」
「………………」
「うちの組織に入っちまえばいいんじゃね?まぁその腕じゃ暗殺業は廃業してもらうことになりそうだけどな」

うち事務仕事向いてる奴いないんだよなぁ。
俺もあんまり賢い方じゃねぇし、いっつもブラッドに負担かけちまって。

勝手に話を進めていくエリオットに、アリスは「無理に決まってるでしょ」と呟いた。
今自分がいる組織に愛着があるわけじゃないが、そんな簡単に抜けられるものではないと――一大組織のNo.2が理解してないわけがない。
そしてそれはブラッドに対しても言えることだ。
今のアリスはただの捕虜であって、勝手に組織を裏切り鞍替えすることなどできはしない。



「大体、私のこと認めないんじゃなかったの?」

呆れたようにそう言うと、エリオットは「まぁなー」と最後のにんじんクッキーを頬張る。


「ブラッドの命を狙ってる限りあんたは敵だが、そうじゃねぇって言うなら俺も考えるぜ?」

あんた、にんじん料理旨ぇし。


基準はにんじん料理かよと――更に呆れながら、アリスは「あっそ」とこの件に関して考えることを止めた。
組織のトップも、そのNo.2も、一体何を考えて発言しているのかアリスには全く分からない。

寝返るなど馬鹿な話だ。
今のアリスとブラッドの関係上、正式に情婦関係を結ぶようなもので、そんなのは死んでもごめんだとアリスは思う。
そんなこと、アリスは微塵も望んだ覚えが無いし、こんな関係をいつまでも続けたいとも思わなかった。

アリスはブラッドが嫌いじゃない。
勘違いしそうになるし、あり得ない夢を見るのも嫌だ。
できれば一人で生きていたい。
他人を信用したり、他人に信用されたり、愛したり、愛されたりということは苦手だ。
失うのは怖い。耐えられる気がしない。
一度大事なものを全部失った<Aリスには、もう二度とそんなものを作りたいと思えなかった。



「まぁ、決めるのは結局ブラッドだしな」
「………………」

それが一番の問題だと――アリスは隠れて溜息を吐いた。
唯我独尊、自由気ままで我が儘なあの男に、自分がどこまで振り回されてやらなきゃいけないのか……


「……あと5日で終わりよ」
「あ、約束の2ヶ月目あと5日だっけ?どうせまた延長するんじゃねぇの?」

したくない。
そこで終わらせたい。
だがそれを――――



「さぁ、どうかしらね」



終わらせる権利は、アリスにあるのだろうか。



絡まりも縺れもしない

material from Quartz | title from 模倣坂心中 | design from drew

飼い殺すって言葉が好きです。

2016.02.06