クリスマスに喧嘩する夫婦というのは、一体この世界にどの程度存在するものなのだろう。
クリスマスやその前に別れたカップルの話はよく聞く。
まぁそんなこともあるわよね、と他人の話を聞き流していたのがいけなかったのか、夫と喧嘩して思わず逃げてきてしまったアリスは途方に暮れていた。

雪が降るほど寒いなか、噴水に腰掛けながらアリスは道行く人をぼーっと眺める。
ほとんどがカップル、そして家族……友人同士で楽しそうにしているグループもちらほら見かけるが、アリスのように一人で今を過ごしている人は見かけない。
今日は街を上げてのお祭りがあったはずで、アリスもそれを夫と見に来た内の一人。
結局それらを見る事はできなかったのだが、それよりも夫――ブラッドとどうして喧嘩をしてしまったのかに意識を奪われる。

どちらが悪かったかと言えば……多分アリスだ。

おまけに逃げ出してきている。
救いようがない。



今、帽子屋領は冬である。
街並みはクリスマスのイベント事一色で、夜になるとイルミネーションがキラキラと美しい。
立ち並ぶお店にもその影響は出ていて、品物が全て一新している所もあれば、新しくケーキを始めたというお店もあるくらいで、最初は見物に目まぐるしく楽しかった。
ある時突然、「デートをしよう」とブラッドに誘われた時、アリスは一も二もなく頷いた。

出不精な夫にしては珍しくクリスマスというイベントを意識してくれたようで、彼に貰った洋服の山を見つめながら、鏡と睨めっこをしてあれでもないこれでもないと服を選ぶ。
棚から奥底に仕舞ってあったアクセサリーまで引っ張り出して、靴も何度履き替えたか分からない。
ようやく納得のいくコーディネイトができた時には、約束の時間まですぐだった。

屋敷の外で待ち合わせていたのだが、アリスはすぐにブラッドを見つけることができた。
普段の奇抜な帽子と身なりは息を潜め、そこには普通の格好をしたブラッドがいたが、アリスにはそれがすぐに夫だと分かった。
分かるほど見てきた。分かるほど一緒にいた。
周りが彼を帽子屋だと気付かないのに、自分が一瞬で分かったことに嬉しくなったほどの浮かれよう。


『祭りがあるらしいぞ。知っていたか?』
『えぇ、もちろん。これに合わせてくれたんでしょう?』
『冬だというのに花火をあげるらしい。騒がしそうだが……君が好きそうだと思ってね』

メインは冬らしくイルミネーション。
会場ではサンタクロースが来場者にプレゼントを配る催し物もあるらしく、クリスマスに因んだ出店も出ると聞いていた。

『楽しそうだな、奥さん』
『えぇ、待ちきれないわ。こういうの、本当に好きなのよ』
『喜んで貰えたなら何よりだ』


何より一緒に来てくれたのがブラッドだ。
夫婦になってどれだけの時間がたったか分からないが、ブラッドと二人で出掛けるなど早々あることではない。
彼は組織のボスだし、どうしても護衛がつくときだってある。
それ以外でも基本多忙、あとこれは性格に起因するものだが極度の引きこもり。
全くデートをしたことがないとは言わないが、数少ないブラッドとアリスだけの外での時間に、アリスは正直喜びを隠せないでいた。

それだけ――素直になった。
ブラッドと二人で出掛けられて嬉しいと思う程度には、素直になっている。




(だから、甘えてる)

地面に積もった雪を丸めながら、アリスは小さな雪だるまを作った。
それを一個、二個、三個と噴水の縁に並べていく。
つまらない遊びだ。卑屈な遊び。
ただやることがないから、アリスは黙々と雪だるまを作り続けた。
帽子を作って被せてみようかなと思ったが、さすがに雪で帽子を作れる器用さはない。
代わりにウサギ耳を作ったら上手くいったので、数体に一個ウサギだるまを作ってみた。

(甘えてる、)

心のどこかで、ブラッドは自分のモノだと思っている。
あれほど彼にモノ扱いされるのが気にくわなかったのに、結局自分も似たようなことを思っているのだから馬鹿な話だ。
何をしてもブラッドは自分から離れていかないと、これでも結構自信がある。
自分に魅力があるとかそんなことは、相変わらず微塵も思っていない。
ただブラッドの言葉を、行動を、素直に信じられるようになっただけの話。
何で自分?という疑問は今も抱いているし、それは今後も変わらないだろう。
だがブラッドが私がいいと言ってくれるのだから、信じてもいいかな程度には信じている。信じたい、のかもしれないが。


噴水を取り囲む雪だるま達。
大きさもてんでバラバラで不格好。
その姿に、アリスはなんとなく既視感を覚えた。
まるで自分のよう。
不細工だとまで自分を卑下するつもりはないが、美人でもなければ可愛くも無い。
普通。そして性格は良くない自覚があるから……どちらかと言えばマイナスだ。


(それに比べて、ブラッドに言い寄る人は綺麗な人が多いわよね)


綺麗だから――というのはあるかもしれない。
自分の容姿に自信があるから、ブラッドに言い寄るのか。
アリスには無理だ。そんな自信は毛頭ないから、負けていることが分かるから――――


「それで癇癪を起こすなんて、負け犬同然だけどね」


つんっと一体の雪だるまを指先でつく。
バランスの崩れたそれは噴水の中へとばちゃんと倒れ、そのまま溶けてなくなってしまった。




普通の格好をしたブラッドに気付いたのは、何もアリスだけじゃない。
デートの最中、「ブラッド様」と夫に声を掛けたご婦人の美しさときたら……
透き通るような金髪も、雪よりも白いその肌も、エメラルドの瞳は宝石のようで、真っ赤なルージュはその妖艶さを際立たせていた。

驚いて、それが嫌で、思わずブラッドの腕にしがみついてしまったアリスを、女性は険しい目で睨んでいた。
そりゃそうだ。
こんな小娘がブラッド=デュプレの妻で、しかも隣を並んで歩いているなんて、面白いわけがない。
しかもブラッドはそれを完全に無視するから、無視されると思っていなかった女は益々その端整な顔を歪める。
そして怒りをアリスに向ける。


『ブラッド、私、飲み物を買ってくるわね』
『アリス?』


だから、思わず逃げてしまったのは自分自身。
女に比べて見劣りすることが分かっているから、逃げた。


飲み物を買ってブラッドの元に戻ったとき、女はまだそこにいた。
ブラッドの腕に自身のそれを絡めて、豊満な胸を押しつけて――――腹が、立った。

もちろん女に。
そして逃げ出した自分に。
何よりそれを振り払わないブラッドに。

腹が立った。嫉妬した。悲しかった。


その後は、説明する価値もない。







今度は猫耳を作ってみた。
これも案外上手くできたような気がして、雪だるまの頭に乗せてみる。
どうして帽子だけ上手く作れないのだろう。
真っ赤になった手はカタカタと震えていて、誤魔化すようにまた雪を丸め始めた。

冬の夜は寒い。
手も、鼻も、頬も、冷気に触れている部位は全部冷たくて、赤くなっている。
ワンピースは失敗したかもしれない。
スカートの中に入り込んでくる冷気も凶悪だ。
直接的に外部へ晒しているわけではないが、やはり寒いに決まっている。

ぎゅっと一個の雪玉を作って、アリスはそれを並べた雪だるまに投げつけた。


「ブラッドの馬鹿」


ぱしん!
ナイスコントロール。
雪玉は見事雪だるまに命中し、それは噴水の中へと沈んでいく。


「馬鹿」


ひゅんっ
今度は失敗。
ウサギ耳の雪だるまには当たらないように、アリスはぽいぽいと雪玉を投げつけていく。


ブラッドの馬鹿。
ブラッドの変態。
ブラッドの横暴。
ブラッドの女たらし。
ブラッドのアホ。
ブラッドのシスコン。
ブラッドの我が儘。
ブラッドのハゲ「誰がハゲだ」



「――――――」


聞き慣れた声に、アリスは雪だるま向かって振り上げた手を下ろした。
声のした方を向けば、鼻を少しだけ赤くした夫がそこに立っている。
コートに手を突っ込んで、目が「寒い」「早く帰りたい」と言っているように見えた。



「……ブラッドのハゲ」

言い直して、アリスは再度腕を振りかぶり、夫めがけて投げつける。
ぽすんと音を立てた雪玉は、ブラッドに届くことなくその足下で潰れてしまった。
寒くて――ついに飛距離さえ伸ばせない。


「誰がハゲだ」
「ブラッドがハゲたらモテなくなるかも」
「私には君がいるから構わない」
「ハゲたら離婚するから」
「……酷い女だな」

近寄ってくる夫に、アリスは雪だるまごと投げつけた。
「こっちに来るな」と言いたくて、アリスは真っ赤になった手に構うことなく雪を握る。


自己嫌悪はアリスの得意技だ。
我が儘なのだって、アリスも一緒。
嫉妬だってガンガンするし、夫が女に言い寄られたら不愉快に決まっている。
女を振り払わなかったブラッドが悪い。
「本当はあっちの方が良いんでしょう」と、そんな単語が頭を過ぎってアリスは泣きたくなった。
妻という私がいるのに不誠実だわと、投げた雪だるまは見事ブラッドに命中した。

「……………」
「……………」
「……………」
「……………」

何も言わないブラッドに、アリスはぽんぽん雪だるまを投げつける。
全部投げつけ終わった所で、ようやくアリスは口を開いた。



「……さっきの女の人、どうしたの?」

アリスの問いに、一拍おいて「知りたいか?」とブラッドは言った。
その声色は不機嫌丸出しで、あの女性がどうなってしまったのか……世界に馴染みすぎたアリスは一瞬で理解できた。


「なぁ、アリス」


ブラッドが一歩近づくごとに、アリスは一歩後退する。


「私は、今機嫌が悪い」


そんなこと言われなくても分かっている。
この男は顔や声やオーラで、その機嫌の善し悪しが分かりやすいのだ。


「君が、」


急に――歩みを早めたブラッドに、アリスの反応が一瞬遅れた。



「二人でどうぞ楽しんで≠ネどと馬鹿なこと言っていなくなったからだ」



掴まれた、右腕が痛い……
アリスは顔を伏せて、(あぁ言ったな)なんて呑気なことを思った。
だってそれしか言えなかったのだ。
それ以外に、何と言えと―――――



「ブラッドが悪いわ」


違う私が悪い。


「……いいや、君が悪い」


でもでも、ブラッドだって悪い。




「ブラッドが悪いわ!」
「いいや、君だ!」
「大体誰よあの女!」
「知るか!私が聞きたいくらいだ!」
「知り合いじゃないなら何であんなにベタベタさせておくのよ!」
「関わるのも億劫だったんだ!大体何故君以外の女に意識を向けなければいけない!」
「ひっどい!ブラッドは昔からそうよ!贈り物一つ貰っても鬱陶しいとか何とかって、誠実さが足りないんだわ!」
「またその話か…!だったら何だ?あの女にも優しく話しかけてやるべきだったのか?」
「贈り物一つ断れないくらいならそうしてやればいいじゃないこの馬鹿!!」
「馬鹿は君だ!そんなに私の目を他の女に向けさせたいのか!」
「ふざけるんじゃないわよこの女ったらし!あんな女にべたべたべたべたさせて!私への誠実さが足りないわ!!」
「だからあの女も無視していたし贈り物もいつも断っているだろう!!」
「そんな酷い事していいと思ってるの!?他の女の人にだって感情があるのよ!!?」
「……君の意見だが、二転三転していないか?私は君以外の女に興味はない!」
「私だけって態度じゃないわ!さっきも、贈り物も、普段の会合やパーティだって!」
「君こそ!やれ他の女に優しくしろだの贈り物の返事をしてやれだの私に対して愛が足りないんじゃないのか!?」
「ブラッドの周りに女の影が多すぎるのが原因でしょう!?」
「どうしろと!!」
「私に対しても他の女の人に対しても誠実でいればいいのよ!」
「なんだそれは面倒くさい!!」
「誰が面倒くさいですって!?」

こんな面倒くさい女を妻にしたのはあんたでしょう!?
だったら他の女の所に行っちゃえばいいんだわ馬鹿!!

「違うそうじゃない!君が面倒くさいわけでは……いや君は確かに面倒くさいがそうではない!他の女に気を回すのが面倒だと言っているんだ!」
「だからそんな不誠実な――」
「君に対しては誠実なつもりだ。私はいつだって君のことだけを考えているし、君のことを想っている」


それの何が不満だ―――


不満?不満だらけだ。
不満しかない。不満で渦巻いている。
私だけだと言うのなら――



「だったらもっと――」



女の顔がちらつく。
あの勝ち誇ったような顔が、あの甘えるような声色が、全部が不愉快で、「この人は私の夫です」と言えなかった自分の情けなさよ。



「……もっと?」

黙り込んだアリスに、ブラッドは不機嫌丸出しで続きを催促する。



あぁほら、やっぱり悪いのはアリスだ。
本当は他の女なんでどうでもいい。
ブラッドを奪われたくないくせに、贈り物だって、実際懇切丁寧な返事をされたり受け取られたりしたら傷付くくせに。
でもそんな嫉妬深い、浅ましい女になりたくなくて……

今だって、アリスには何の取り柄も美点もないのに、これ以上の醜態なんて晒したくない。
ブラッドの態度は一貫してはっきりしている。
ふらふらと感情が右往左往しているのはアリスの方だ。

口から出るのは言い訳と矛盾。
救いようのない、優等生のアリスと我侭なアリス。
あの完璧な淑女であった姉はどうしただろうと思って、アリスは殊更泣きたくなった。


「ブラッドが悪いわ」
「……………」

アリスはブラッドに甘えている。
こんな自分を受け入れろと、暗に強要している。

「ブラッドが悪いの」

優等生の皮を被っていたい、劣等生の自分を。
何も誇れない。
外見も中身も、何一つ誇る事のできない醜い自分。
普段は素直に甘えられないくせに、こんな卑しい部分で甘える自分の愚かさが嫌になる。




「ブラッドが、「あぁ分かった」――」


溜息を吐くように、ブラッドが言った。



「私が悪かった」



だから、そんな泣きそうな顔をしないでくれ。



捕まれたままの右手を引かれて、ブラッドとアリスは歩き始める。
ブラッドが折れるなんて、明日は槍が降るかもしれない。
そうぽつりと言って見せるも、彼は「君関して私は折れっぱなしだ」と言われて、アリスは益々俯いた。


「……私、面倒くさい?」
「自分が面倒くさくないとでも思っているのか?」

自己嫌悪は得意なくせに、自己分析は苦手なようだな。


さらりと嫌味を飛ばされて、アリスはむっとした顔をしてブラッドを睨む。

「貴方だって、大概面倒くさいわ」
「君ほどじゃないさ」
「ひ、人に迷惑のかかる面倒くささじゃない!」
「君が私に迷惑をかけてないとでも?」

………かけてます。

分かっているさ。分かっているとも。
認める。
ブラッドの腕に両手で捕まりながら、アリスは「だったら何で私なんて、」とぼやく。
どこまでいっても考え方が暗い妻の様子に、「では何故、君は面倒くさいと言う私の傍にいる?」とブラッドは尋ねた。

「……離れようとしたら、離してくれるの?」
「いいや、離さない。両足を切り落としてでも傍に置く」
「質問の意味がないじゃない!」
「ならば君は、両足を切り落とされたくないから私の傍にいるのか?」
「――――――」


アリスを見下ろすブラッドの瞳は無機質だ。
相変わらず、何を考えているか分からない暗い瞳。
だがいつからかその瞳がアリスを捉えて離さなくなっていて、それに安心している自分もいる。


「君はどうして、私の傍にいる?」
「……貴方はどうして、私を離してくれないの」
「離したくないからに決まっているだろう」


私は、やりたいことしかやりたくない。
いつだって、好きな事を好きなようにしている。


「分かっているだろう?」と問われて、アリスは数泊遅れて頷いた。
そうだ。その通り。
私だって、ブラッドの傍にいたいからいる。
ブラッドのことが好きだから―――



「――ブラッドはずるいわ」
「馬鹿の次はずるいか?私が一体君に何をしたという」


ずるい。
正しい答えをくれるから――ずるい。
でもアリスは、それをブラッドに言わない。


「ごめんなさい、ブラッド」
「……何に対しての謝罪かな?」
「今度から、女の人は追い払ってほしい」


睨まれて、怖かったのよ。


「睨まれて怖いなどという臆病な女か?君が?」

殴り返してもおかしくないほど逞しい女性だと認識しているが。


わざとらしく驚かれて、アリスは「そこまで暴力的じゃないわよ」とその足をこつんと蹴る。


「それとも、相手を殴って欲しいの」
「それくらい分かりやすいと嬉しいな。私に言い寄る女を片っ端から排除してくれるほど、私に狂ってくれると嬉しい」
「……帽子屋の奥さんは酷い癇癪持ちだって言われるわよ」


血生臭いのはごめんだ。
ブラッドに言い寄る女などいなくなればいいと思うけれど、彼が望むほどは狂えそうにはない。


「いいじゃないか。自慢できる」
「自慢になるの?それ……」


「自慢だとも」と笑顔で返されて、アリスは訝しげにブラッドを見上げた。



「君にそれほど愛してもらえるなら、死んでもいい」



そう言うブラッドの表情は楽しそうだ。
どこかうっとりしていて、あぁ本当にこの男は狂ってるなと思った。
だがそれを――嬉しい≠ニ思う自分もどこかおかしい。
私もそれだけ彼に愛されるなら、死んでもいいかもしれない。


(今だって――ちゃんとそれくらい愛しているけど)

そして多分、愛されているけど。


「でも死んだら、一緒に居られなくなるわ」
「あぁ、それは困るな」


どうせなら一緒に生きたいし、一緒に死にたいと思う。



百年先の運命

material from Quartz | title from 模倣坂心中 | design from drew

あやさ様からのリクエスト
クリスマスなのに意地張っちゃってすれ違っちゃうけど、ハッピーエンドな二人が見たいです

喧嘩するブラアリが好きです。でも中々上手く書けなくて中途半端な感じに……
面倒くさいアリスも面倒くさいブラッドも、でもその時々の状況によって折れ合う二人の関係が好きです。
クリスマス要素が薄くてすみません!!糖度も少な目だったかも……
すみません!こぼれが書く普通のブラアリになりました!(ジャンピング土下座)
この度はリクエスト頂きありがとうございました!

2015.12.25