「君に、私を殺すチャンスを上げよう」

にやりと笑う口元。
その翡翠の瞳は怪しく輝いており、まるで嘲笑われているようだった。
事実、この男は己を嘲笑っているのだろう。
額から流れる血が鬱陶しいが拭うこともできない。
任務に失敗したけじめとして自害することさえ許されない現状に、アリス=リデルはただただ目の前の男を睨み付ける。
二人がかりで頭を地面に押しつけられ、身体を拘束され咥えさせられている布の味は不愉快だ。

「今日から1ヶ月――私と衣食住を共にして、殺すことができたら君の勝ちだ」
「……………」
「もちろん部下は付けない。君と私の二人きりの勝負で――「お、おい、ブラッド!そんな危ねぇことさせられるわけが、」――黙れ、エリオット。私はこのお嬢さんとゲームがしたいんだ」

片手でオレンジ色の部下をあしらうマフィアのボスは、楽しそうにゲーム≠語る。
そしてそれは酷い侮辱であり、アリスは惨めな気持ちで一杯だった。
「今すぐ殺せ」と叫びたいのに、咥えさせられた布がぐっと締まる感覚に、アリスは返答さえできやしない。


「悪い条件じゃないだろう?24時間いつでも私を殺す権利がある。その代わり……そうだなぁ、できれば家事炊事をやってもらいたいんだが……あぁ、もちろん毒でも針でも何でも仕込んでくれ」

私を殺すことに関してはどんな手法も君の自由だ。
ただ一ヶ月、私と二人きりで生活してくれればいいんだよ、お嬢さん?
何故そんなことをするか、という目だな。
もちろん暇つぶしだよ。私は退屈が大嫌いなんだ。


ぐっと額にできた傷口をなぞられて、思わず痛みに顔を顰める。
そんな彼女の表情に、マフィアのボスはくくっと笑ってその手を乱暴に離した。
ごつんと音を立てて再度地面にぶつけた額。
傷の痛みと出血量が相まって、ぐわんぐわんと視界が揺れる。
このままでは意識が落ちてしまうと焦ったが、猿ぐつわをされ両手を封じられているアリスには意識を保つ術を実行できない。



「君の目が覚めたら、ゲームスタートだ」



耳元で――不快な声を聞きながらアリスの意識は沈む。
とんでもない屈辱だ。
絶対に殺してやると思いながら、アリスの意識はぷっつりと途絶えてしまった。





□■□





(なんか……あったかい物食べよ)

窓の外でちらちらと舞う雪に、アリスは思わずぶるりと身震いをした。
室内は十分に暖かいのだが、今年初めて見る雪に、「寒い寒い」と呟きながら本を綴じてキッチンへと駆け込む。

暗殺のターゲットであったマフィアのボスから一方的なゲームを言いつけられてから、アリスが目覚めたのは4日後のことだった。
出血の量が割と危なかったらしく、目が覚めてから思うように身体を動かせるようになるまで約2日。
この間はカウントしないから身体の回復に勤めなさいと宣った男にナイフを投げつけること28回だったが、どれも簡単に避けられて何度か傷口を開き、結局まともな身体に戻るまで合計10日もかかってしまった。
全部の包帯は取れなかったが、点滴が外され半分以上の包帯が取れた所で、「ではゲーム開始だ」と楽しげに言った若きマフィアのボスの顔は、今思い出しても全力で足蹴にしてやりたい。


男の名前はブラッド=デュプレと言った。
一代でこの巨大な組織を作り上げ、知性や策略に長けた急成長中の組織。
アリスが所属しているマフィアとは敵対関係にあるのだが、何故かアリスは生きたままこんな所に閉じ込められている。
暗殺を生業とするアリスにとって、任務の失敗は死を意味する。
殺される。あるいは自害するのが当然なのだが、屈辱的にもアリスはこうして生かされ、暇つぶしという名のゲームに興じさせられていた。


高層マンションの最上階。
天井をぶち抜いたと思われるほど高く広い空間。
部屋の数は多くないが、一つ一つの部屋が広すぎて落ち着かず、アリスはなるべく隅の方――窓側にいるのが定位置になってしまった。

衣食住を共にして、1ヶ月で彼を殺せたらアリスの勝ち。
それは酷く簡単なことに思えたが、ゲーム開始から5日目(療養期間を含めれば15日目)未だにアリスはブラッドを殺せていない。
そもそも24時間など嘘も良い所だ。
朝は確かにいるが9時になれば仕事に出向いてしまうし、それから8時間、17時になるまで男は帰ってこない。
その間アリスはもちろんこの部屋に閉じ込められたままで、最初こそ男の弱点を探ったり脱出を試みたりしたものの、そう上手くいくわけもなく結局勝手に本を借りて読みふけるという行為が定着してしまった。

もちろん、この5日間アリスが何もしなかったわけではない。
出す食事に毒を混ぜてみたり、洗濯した衣服に毒針を仕込んでみたり、帰ってきた瞬間や寝込みを襲ってみることも何度か試した。
だが、さすがにゲームをしようと提案してくるだけあって、男はアリスの殺意を悉く躱してくれる。


(なんかこう、他にやりようはないのかしら)


ぐつぐつとシチューを煮込みながら、添えるためのサラダをカットする。
食事に毒を仕込むのはやめた。
何をしても見破られてしまって、監視カメラでも仕掛けてあるのかと思ったのだがそうではない。
ブラッド曰く「匂いで分かる」らしいが、無臭の毒なはずなのにその理屈はおかしいと思うのだ。
現にアリスは自分で分からないし、「どうしてよ!」と声を荒げることもあったが、実際毒の入った料理は全て避けられてしまうのだからアリスはそれを3日目で諦めた。
あまりに不毛なやりとりに、食事がもったいないという結論に達した結果である。
それ以降、アリスは真面目に料理をして真面目にブラッドの前へと出していた。

『―――――』

ざくざくと無心で野菜を切っていたアリスの耳に、軽快な機械音が響いてきた。
リビングからこの部屋に一つしかない電話が鳴り響いており、掛けてくる相手も取る人間も一人ずつしかいないので、アリスはコンロの火を消してゆっくりとそちらへと近づいた。

がちゃりと受話器を取って「もしもし」と不機嫌に声をかければ、電話の向こうで男が楽しそうに笑っている。



『やぁ、お嬢さん。ご機嫌はいかがかな?』
「最悪よ。あんたなんか今すぐその場で死ねばいいんだわ」
『君に殺されるかもしれないという楽しみの前に死ぬのは、できれば勘弁願いたい所だな』

くつくつと笑う男の機嫌は良さそうだ。
対してアリスの機嫌は降下の一途を辿っている。
「それで何の用よ」とぶっきらぼうに尋ねれば、『何か買っていくものはないか?』と聞かれるのだから殊更に腹が立つ。

アリスはこの部屋から出られない。
必然的に、アリスの日用品やその他生活用品、日々の食材まで全てをこの男に買ってきて貰わなければいけないのだ。
今までこの部屋に彼の部下が尋ねて来たことはない。
いつも男が荷物を一人で買ってきて、運び入れてくる。
「マフィアのボスって暇なのね」と嫌味を飛ばしても、「そうなんだ。退屈で死にそうだからこうしてゲームをしている」と返されて、口惜しい思いをしたのは2、3日前のこと。
腹が立ったからありとあらゆる買い物をさせてもみたが、男は堪えた様子もなく、むしろ余りまくった食材の前でアリスが頭を抱えたことは言うまでもない。
貧乏性というのはこんな状況でも発揮されてしまうらしい。
腐らせるとか捨てるとかそんな勿体ない事はできないというアリスの性分が、地味に家事全般を担っている自分の首を絞め始めている。



「……何も無いわ」


色んな物が余り放題で困っていると知っているくせに。



性格の悪い男だとイライラしながらも、アリスは端的に返事をする。
『そうか。ならばあと30分ほどで帰る』という男に返事もせず、アリスは乱暴に受話器を叩き付けた。
これ以上あの男の声を聞いていると腹立たしさで気が狂いそうだ。
ゲームなどに興じずさっさと自決することも考えたものの、不本意とはいえ折角拾った命。
捨てるのは惜しいし人生の目標とも言える夢≠ェあるアリスには、何が何でもこの勝負に勝ちたかった。


(ていうか、一泡吹かせてやりたいわ)


人を舐め腐ったあの態度が気に入らない。
私は暗殺が仕事であって家政婦が仕事じゃないっつーの!

ガンっと包丁をまな板に叩き付けながら、それでも事細かにバランスを考えて料理を作るアリスの几帳面なこと。


(じ、自分の性格が恨めしい……)


いやいや、でも私だって食べるんだし。
作ってるのは私だけど、食材はブラッドが買ってきてタダも同然なんだから――そうよ。私がタダで美味しいものが食べたいのよ!

そう思わないとやってられない。
でもやっぱりイライラするから包丁捌きが雑になるのだが、(今日は朝方に強襲してみようかしら)と暗殺の手立てを考えながら、ようやく食事ができた頃――きっかり30分でブラッド=デュプレは帰ってきた。





「ただいま、お嬢さん」
「…………」
「無言で包丁を此方へ向けるのはやめてくれないか?痴情のもつれみたいな殺害現場はさすがに遠慮したい」
「死に恥晒してやりたいわ。殺した後、お望み通り男女の諍いによって殺された風に演出してあげる」
「死体を弄ぶのは感心しないぞ?」
「私も趣味ではないけれど、あんたに関してだけはそうしてやりたいわ」

ひゅんっと空いていた手でナイフを飛ばすも、軽々避けられて壁に刺さる。
心の中で盛大に舌打ちしながら、眉を顰めて「夕飯できてるから着替えてきなさいよ」とアリスはブラッドを追い払った。
それに対して、相も変わらず面白そうに笑う男が本当に憎たらしい。

ゲーム開始から今日で5日目。
それもそろそろ終わろうとしているが、アリスのストレスは溜まる一方だった。



永久戦犯少女A

material from Quartz | title from Amaranth | design from drew

フォロワさんから頂いたネタ。中国マフィアと暗殺者アリス。

2015.12.04