あれもこれもと洋服を着回しして、レジに運ばせるビバルディの買い物は見ていていっそ清々しい。
自分には絶対そんなことできないし、例えできる財力があっても収納場所がないと……アリスは手に取っていたブラウスを畳んで元の場所へと置いた。


休日。
アリスはビバルディとの約束通りショッピングを楽しんでいた。
新しくできたカフェは前々からアリスが行きたがっていた所で、ビバルディと他愛のない話をしながらお茶をする。
彼女の美貌に思わず視線を向ける男性は多いが、ビバルディはそれを気にもしない。
そんな彼女の姿を見て、少しだけブラッドを思い出した。
彼も女性には非常にモテるし、いつも熱い視線を注がれているのに物ともしない。
顔立ちの整っている人はみんなそうなのだろうかと思うほどで、アリスには決して理解できない感覚だった。
人の視線を集めてしまうのも、それが例え好意であれ居心地は悪そうだ。
特に彼らに向けられる視線には、嫉妬という悪意も交っている。



「ん、もうこんな時間か。そろそろ出ようアリス」
「……そうね、ビバルディ」

夕飯を作るのなら、スーパーに寄らないと。

アリスがそう言うと、ビバルディは「そうだな」と言った。

「あぁ、でもそうすると手荷物が多くなるな」
「食材くらいなら私が持つから大丈夫よ?」
「そうか?なんなら愚弟に車を回させるが……」
「ふふ、平気よ。それよりビバルディは何が食べたい?」

言っても、作れる料理の数はそんなに多くないんだけどね。

カフェを出て、真っ直ぐタクシーへ乗り込むビバルディに苦笑しながらアリスもそれに続く。
数分ほど車に揺られて、たどり着いたのはアリスが足を踏み入れたことのないスーパーだった。
会社からはそれほど遠くないが、「この辺に住んでるの?」と尋ねれば背後のマンションを指さされる。

「あそこの一番上だ」
「……マンションに住んでるのね。てっきり豪邸みたいなのを想像してたわ」
「あぁ、広すぎても手入れができぬからな。二人暮らしにあれ以上の広さはいらぬ」
「それでもあそこの一番上って、かなり広そうだけど」
「フロア全てが我が家だ。天井もぶち抜いて広めに設計してある」
「え?もしかしてあのマンション、ビバルディが……」
「あぁ、わらわが出資して建てた。最も、わらわ達が住む部屋の設計は全て弟に丸投げしたがな」

なに、センスは悪くない弟だ。
出来上がった時もそれほど不満はなかったよ。

「強いて言うなら部屋が少なかったことくらいか」
「……毎回あれほど買い物してたら、そうでしょうね」

ビバルディは買い物をし過ぎだと思う。
だが確かに、彼女が同じ服を着ている所を見た事が無い。
一回着たら捨てるとかそういう……
いやはや、庶民には理解できない感覚だ。



「さてアリス。何を作る?何を買うのだ?」

費用はもちろんわらわが出す。
折角だから色々作っておくれ。

子どものようにはしゃぐビバルディに、アリスは苦笑しながら「そうねぇ」とカゴに食材を積み上げて行く。
スーパーに足を踏み入れるのは初めてだというビバルディにあれやこれやと質問されながら、全ての買い物を終わらせて外へ出れば真っ赤な夕焼け空が広がっていた。

赤の時間。
ビバルディはこの空の色が一番好きだと言う。
美しいと言って目を細めるビバルディが、何より綺麗だとアリスは思った。








買った食材は案外重い。
だが自分で持てると最初に啖呵切ってしまったアリスは、汗ばみながらもそれを一人で運んだ。
時折ビバルディが「大丈夫か?」と声をかけてくれるも手伝ってくれる気配はない。
あぁビバルディはそういう女性なのだ。
そしてそんな女性を、アリスは改めて「凄いな」と思う。


「アリス。ここが我が家だ」

扉を指さすビバルディに、アリスは漏れそうになった溜息を抑えて微笑んだ。
とりあえず、この荷物を置きたい……
三袋分も買った食材を一人で運ぶことなど、もう二度としたくない経験だとアリスは思う。


「ほらほら、アリス。早く入れ」

「わわっ、引っ張らないでビバルディ!」

転んじゃうわ!!


大量の荷物を抱えたまま玄関先で押し込まれたアリスは悲鳴を上げる。
広い玄関に、明らかに高そうなインテリア。
えらく場違いな所に来てしまったと思ったが、ビバルディが住んでいる所なのでこれが当然だろう。

「荷物はそこに置いていいぞ、アリス」

あとは愚弟に運ばせよう。
今日は自宅にいろと言いつけてあったからな。

そう言うビバルディは上機嫌で、靴を脱ごうとするアリスの手を優しく支える。
「ありがとう、ビバルディ」アリスはそう言いながら彼女の住む部屋へと足を踏み入れ、抱えていた荷物をどさりと下ろした。




「ようやく帰ってきたのか?姉貴」

なんだ、客か――――?


突如、廊下の角から聞こえてきた声。
その声色に思わずびくりと肩を竦め、「え――」と声にならない声を漏らしたのはアリス。

現れた人影。
見上げなければならないほどの長身の男。
代わり映えのしないその黒髪と、端整な顔立ちは確実に見覚えがあって、唯一違う所があるとすれば、スーツではなくワイシャツと黒のスラックスというラフな格好だったということくらいだろうか。


「―――――――――」


男と目が合って、アリスの思考は完全に止まる。
男の翡翠にアリスは映り、アリスの水色に男が映る。
息ができないままたっぷり十秒。



「は―――?」



ふいに耳をついたのは、男のまぬけな声。
聞いたこともないほど気の抜けた声と、いつもは余裕を振りまいているその表情が砕けきっていてアリスは更に混乱した。

「アリス、わらわの弟のブラッドだ。一度、前に連れて行った店で会ったことがあるだろう?」

この愚弟はな?
ホストなどという品のない仕事をしている上に、手当たり次第女を食い物にしては捨て食い物にしては捨て――「っ、おい姉貴!!」


「なんじゃブラッド」
「どういうことだ!聞いてないぞ!?」
「あぁ、言っておらぬとも」
「今日は大事な用があるから自宅にいろと――」
「そうだ。なんじゃお前、アリスの手料理が食べたくないのか?外食には飽き飽きしてきただろうと思い折角わらわ気を回してやったのに」
「そういうことではなくてだな!!?」

フリーズ。
思考停止から――何分?
目の前で広げられる会話に、アリスの思考は付いて行ってない。
弟?誰が?誰がビバルディの弟?
で、誰が姉だって?誰が、えと、ブラッドの姉?
て言うか、え、何でブラッドがこんな所に――

「あぁ、もううるさい愚弟だこと。それより早く荷物を運ばぬか。アリスにこんな重い荷物を運ばせる気か?」
「……ここまでの道のり、彼女に運ばせてきたのは貴女だろう」

それはそれ。これはこれだ。というビバルディは、さっさと部屋の奥へと引っ込んでしまう。
残されたのは、呆れかえっているブラッドと、思考停止しているアリスと、スーパーで買ってきた夕飯の食材三袋。


「…………」
「…………」

「…………」
「…………」

「……よく来たな」
「……お邪魔します」


面と向かい合って互いに困惑の色を隠せないまま、アリスとブラッドはそう言いあった。





□■□





「わらわは、あの時のお前の顔で暫く笑える」
「余計なことを……何で連れて来た」
「言ったであろう?あの子の手料理が食べたかったのだ」

台所でばたばたと走り回っているアリスを余所に、ビバルディとブラッドはリビングでゆったりとお茶を飲んでいた。
片方はいっそ奇妙なほど上機嫌で、もう片方は眉間に皺を寄せて唸っている。

間抜けな声に間抜けな顔。
そんな醜態を晒した上に、更にこの上不機嫌面で紅茶を飲む弟を、ビバルディは堪らなく面白いと思った。
手当たり次第に女を食っては飽きたら捨て、一向に落ち着く気配のない弟。
そんな愚弟が気に入った女が、平凡を絵にかいたような娘だったことにビバルディは少なからず驚いた。

これも姉弟たる所以か。
ビバルディはビバルディでアリスの事を気に入っていたし、彼女との親交は数年来になる。
絵に描いたような生真面目さに見た目からは想像がつかない気の強さ、仕事は早く正確で、これは器用な子と思えば実は人より多く時間をかけているという不器用さ。
過去に恋愛で心に傷を負った繊細な娘。

あの日――ビバルディがアリスをホストクラブに連れて行ったのはたまたまだった。
仕事が上手くいかなくて、同じく行き詰っていると真っ暗な部屋で一人デスクに向かっていたアリス。
これは気分転換するしかないと、嫌がる彼女を引き摺って弟の勤めるホストクラブに顔を出した。

ビバルディが店に訪れた時は、必ずブラッドが接客するようになっている。
その理由として、ビバルディがあの店に一番金を出しているVIPであること。
そしてブラッドがあのクラブでNo.1を張っているということ。
最後に、あの店の誰一人、ビバルディとブラッドが姉弟だと知らないことが主な理由だ。
一番の上客に一番人気を付けるのは当たり前。
だからビバルディの相手は、いつもブラッドが勤める。

だが周りがどう認識していようと二人は姉弟。
ブラッドに接待されるなど真っ平だし、その逆もまたしかり。

だから押し付けた。アリスを。
初めてだから適当に飲み食いさせてやれと、その程度の気持ちで。

そしたらその結果が――――これだ。








「……貴方とビバルディが姉弟だったなんて、想像もしなかったわ」
「……だろうな。あんな性悪女と似ている所など一つも―「いえそっくりだと思うわ。似た者姉弟」―喧嘩を売っているのかな?お嬢さん」

冷蔵庫から飲み物を取り出すブラッドに、アリスは冷めた目を向ける。
一方のブラッドは居心地悪そうに目を逸らしながらも、その場所から動こうとしない。

「……普段から外食なの?」

フライパンをひっくり返しながら、アリスはブラッドにそう尋ねる。

「夜は基本店にいるがな。それ以外は外食だ」

私と姉貴が、料理をするように見えるか?

「…お姉さんも同じことを言ってたわよ」と言うと、彼は苦虫を噛み潰したような顔をする。
ついでに「掃除と洗濯は貴方がするんですってね」と声を掛ければ、ブラッドは口に含んだ飲料水を喉に詰まらせて咽始めた。

「あの…っおん、ごほっ……」
「ちょ、大丈夫?」
「ごほっ……あの女、いつか絶対殺してやるっ」
「物騒なこと言わないでよ。貴方のお姉さんでしょ」

げほげほと咳き込むブラッドの背中を擦りながら、コンロの火を消して「大丈夫?」と声をかける。
器官に入ったのか涙目になっているブラッドの顔は、普段店で見るよりも余程幼い。

あぁ、これが本来のブラッドなのね。

完全オフ状態で、髪がいつもより跳ねている。
ワイシャツとスラックスなんてラフな格好は初めて見たし、普段はお酒と煙草の匂いしかしないのに、微かに鼻を掠める香りは紅茶の匂いだ。
穏やかで上品な――この匂いは、確かにブラッドに合っている。
あといつもより喋り方がだるそうだ。
自宅ということでリラックスしているのか、威圧感もほとんどない。
普段接しているブラッドは別人なのではないかと思うほど、今アリスの目の前にいるブラッドは穏やかだった。


「っ、……はぁ、君が、」
「?なに?」
「……そんなに姉貴と仲が良いとは知らなかった」
「付き合いだけならもう5年よ。貴方とより4年は多いわ」

そう言って、アリスは自分がブラッドと出会って1年以上経っていたことに気付く。
最初の頃は仕事が忙しくて、心の余裕がなくて、月に一回程度だが、ブラッドと本の話をするのが純粋に楽しみだった。

思い出して、ふっと零れた笑み。
涙目のまま肩で息をするブラッドが面白くて、アリスは口元に手を当てて笑った。

「…………笑わないでくれるかな?お嬢さん」
「ブラッドが、ビバルディには滅法弱いっていうことが分かったわ」
「弱くない。苦手なだけだ」

何が違うの?

ブラッドに尋ねながら、アリスは笑う。
再度コンロに火をつけて、「暇ならお皿を取って」とお願いすると、ブラッドはこれまた妙な顔をしてアリスの指示に従った。
その様子がまた可笑しくて、アリスは胸の内が暖かくなるような感覚を覚える。

「随分と楽しそうじゃないか」
「えぇ楽しいわ。意外だったもの」
「……何が」
「貴方が意外と子どもっぽくて、かしらね」
「…………」

眉間に皺を寄せるその不機嫌な表情さえ面白い。
リビングのソファでは、ビバルディが此方から目を逸らして笑っている。
小刻みに揺れている肩がバレバレで、ブラッドは更に嫌そうな顔をした。


「アリス、私は―――「ブラッド、この家ソースはどこにあるの?」――その、戸棚の下だ」


「あはははは!」と耐えきれなかったのかビバルディの大きな笑い声が聞こえる。
「うるさいぞ、姉貴!!」と声を荒げるブラッドの姿は、どう見てもホストには見えなかった。



あれもこれも絡んで溺れて沈む

material from Quartz | title from 模倣坂心中 | design from drew

長くなったので分けます。

2015.10.09