煙草をふかしながら、朝焼けの街を歩く。
道に転がった缶を一蹴りして、「だるいな」と呟けば一気に眠気が襲ってきた。

ブラッドが最近気に入っている女の名前を、アリス=リデルと言う。
何も分からぬまま店に来て、たまたま自分が隣に座っただけの女。
彼女を連れて来た女は店のお得意様で、毎回必ず自分が接待していた結果出会った。
びくりと震えて見せた、怯えたような顔つき。
お得意様の方はただの新人キラーなのでブラッドには見向きもしないし、むしろされても困るのでブラッドはその日数時間ひたすらにアリスで暇を潰した。

こういう所は初めてだと、困ったように笑う彼女は年齢よりも幼く見えた。


『無理矢理連れて来られたんです。嫌だって言ったのに』


「興味がなかった?」と聞けば、「面倒は嫌いだ」とアリスは笑った。
あとこんな所で遊ぶ金などないとも。

その姿は日の当たる場所で過ごしている一般人と変わりなく、どこにでもいる普通のOL。
だがそんな人間がブラッドの周りに少なかったのは事実で、話してみると正直面白かったのが最初の印象だった。

一度きりの出会いで終わらせるのはつまらなかったので、彼女を連れて来た女に「もう一度連れてこい」と言ったものの「面倒だ」と一蹴され、結果、ブラッドはその日アリスに無理矢理くっついて自室に上がり込むという暴挙を達成した。
酔ったふりをして自室に上がり込み、住所を確認した上で鍵を勝手に拝借した。
あぁ言っておくがさすがにその日は手を出してない。
そんな興味を彼女に抱いたわけではなくて、ただもう一度店に来てくれればいいとその程度。

実際彼女は店に来た。
「鍵盗ったでしょう!?」と声を荒げて――その表情があまりに面白かったから、ブラッドはアリスで遊ぶことに決めたのだ。
鍵は返したが合鍵は既に作ってある。
ブラッドは、アリスに粘着することに成功した。

最初の頃は楽しかった。
話題も尽きなかったし、読書が好きだという彼女との議論は面白い。
ころころと変わる表情は子どもっぽくて、見ている分にも飽きなかった。
だが最近はつまらないなと感じる。
勢いで手を出したのが悪かったのか……
アリスはブラッドに対して笑わなくなった。
エリオットやエース、他のメンバーには笑うのに、ブラッドにだけ笑わない。
いつも困ったように目を伏せて、よく考えれば暗い表情が増えたように思う。
そしてそれが顕著になる度、ブラッドはアリスを抱いた。
大抵の女はこうすれば満足するのに、アリスは一向に改善しない。
それでもブラッドの言いつけを守って律儀に店に来る分嫌われては無さそうだが、ブラッドが気に入ったアリスはすっかり影をひそめてしまった。



パパッ

静かな朝の街に、突如背後から鳴り響いたクラクション。
自分を通り越しわずか前方に停まった真っ赤なポルシェを一瞥した後、ブラッドは咥えていた煙草を投げ捨ててその車の助手席へと乗り込んだ。


「またアリスの所か?」

バタンと扉を閉めると同時に発進した車。
運転手は楽しそうにその口元を緩めながら、からかうようにブラッドへ問う。

「貴女は?仕事帰りか……」
「愚弟がホストクラブなどという爛れた場所に身を投じているから、わらわがこうして昼夜問わず働いておるのではないか」
「よく言う。そのホストクラブに頻繁に来ては新人を持ち帰っていくくせに」
「お前だって、わらわが連れて行った娘を持ち帰ったではないか」
「持ち帰ってはいない。持ち帰られた」
「無理矢理くっついて来たと聞いておるが?全く、仕方のない子」

アリスはわらわのお気に入り。
手酷いことをして捨てたら許さんぞ。

姉――ビバルディの御小言に、ブラッドは鬱陶しそうに眉を潜め目を閉じた。
寝るからもう話しかけるなというポーズに、ビバルディは再度「情けない子」と呟く。


「惚れた女の一人も落とせぬとは、辞めておしまいホストなど」
「…………」
「なんだ。まさかお前、そこまでしておいて惚れていないと申す気か?冗談もほどほどにしろ」

お前が客と寝るのは珍しいことではないし、時折女の家で一夜明かすのも珍しいことではないが――


「上から下まで全身コーディネイトして自分の女だと勝手な優越感に浸り、毎回毎回札束を置いてくるなどという品の無い行為をしている女はあの娘だけだと認識しているが?」

「うるさいぞ、姉貴」


あぁ、本当に情けない。
実姉が一等気に入っている部下に勝手に手を出して、中々進展せぬと思っていたら口説いてすらないとは。
あの子は男に良い思い出がないから気分転換にとお前の店に連れて行ってやったのに、まさか新たな悩みの種を作ってくれたのがわらわの愚弟。
上司として、友人として、姉として、わらわはアリスの行く末が心配で堪らぬ。

「だったら最初から釘を刺して置いてくれれば良かっただろう」と不貞腐れる弟に、ビバルディが「釘を刺して止まる男か?」と尋ねる。
姉弟二人で暮らしているマンションの入り口に車を停めて、「あとはお前が回してこい」と車のキーを投げつけてビバルディは運転席から降りる。

渋々といった形で車を駐車場の方へと走らせるブラッドを見送ってから、ビバルディは盛大な溜息を吐いた。





□■□





「アリス」

そろそろ帰ろうかと時計を見上げていた所で、自身の名前を呼んだのはアリスの務める会社の社長だった。
一代で世界的な有名ブランドを作り上げたやり手の女社長。
どういったわけか、そんな彼女に気に入られあまつさえ友人≠ニ呼ばれるアリスは、相変わらずの美貌を振り回している彼女に恭しく頭を下げる。

「お疲れ様です、社長」

アリスと彼女との付き合いは長い。
だが職場で公私混同するわけにはいかないと、アリスは彼女に対して真面目過ぎるほど徹底して応対する。

「そんな堅苦しいことをしなくてもいいと言っておるだろう、アリス」
「職場ですから」
「……全く頑固な」

呆れたような溜息を吐きながら、それでもすぐに気を取り直した彼女は、「こっちにおいで」とアリスの腕を引く。

「っ、社長!?」
「わらわの部屋に来るのだ。話がある」

ぐいぐいと引っ張られ社長室へ連れ込まれるアリス。
周りの視線が痛いんだけど!とアリスは声を荒げたかったが、毎度毎度の光景なので、周囲の視線はアリスが思っているよりも暖かい。
一人焦っているのはアリスだけだ。
周りとの調和を乱さぬよう気を使い、他人からの評価を神経質なほど気にするアリス。
そんなアリスを、この女社長はいつも気にかけていた。
頑張り過ぎていつか倒れてしまいそうなアリスを、彼女はいつも案じている。



「ほら、この部屋ならお前とわらわの二人きり」
「でもここは職場で――」
「アリス?」
「―――――」

目に痛いほどの赤で統一された社長室。
仮にも上司に睨まれたアリスは一瞬びくりと肩をこわばらせて――それでも困ったように、「分かったわ、ビバルディ」と声を漏らした。

「うむ。良い子だ」

にこにこと笑うビバルディに、アリスは軽い脱力感を覚える。
上司であり友人。
最初はこの関係に酷く戸惑っていたが、ビバルディは本当にアリスによくしてくれた。
上司として真面目に叱ってくれるし、褒めてくれることもある。
友人としてはショッピングに興じたり、お茶をしたり、彼女のおかげで紅茶には特に詳しくなってしまった。
……同じく紅茶狂いであるブラッドとの会話に困らぬほどには。

ふっと――アリスの表情に影が落ちる。
次ホストクラブに出向かわなければいけないのは、一週間と三日後だ。
四日後のアリスの休日と、ブラッドの休日が被ってしまったため今回の空き時間は長い。
休日の度に出向くのも大概面倒で疲れるとは思っているのだが、最早習慣となっていることがないのは少しだけ寂しく思う。
そして寂しく思う自分を、アリスは(最低だ)と称した。


「お前、四日後は休みだろう?」

考え事をしていたアリスの耳に、ビバルディの声が響く。
一瞬何を言われたか分からなかったアリスだったが、それを悟られぬよう瞬時に「うん」と頷いて見せる。

「何か予定はあるか?」
「……今のところ、ないわね」

休みの度にブラッドの元へ通っていると、ビバルディには知られたくない。
アリスをあのホストクラブに連れて行ったのはビバルディだったが、それでも友人に言えないことの一つや二つある。
いっそ相談してしまおうかとも思ったが、アリスの無駄なプライドが邪魔をしてどうしても彼女に相談することはできなかった。

「よし!ならばアリス。次の休日はわらわと一緒に過ごそうぞ」
「え?でもビバルディ仕事は――」
「なに、四日で全て終わらせて見せるよ。昼はショッピングをして、新しくできたカフェテリアに行こう。そして夜は――」

我が家においで。
夕食を共に取ろう。

ビバルディの言葉に、アリスは考えるふりをする。
折角の休日なので読書をしたい気持ちもあったが、気心知れた友人と過ごす方が気分転換にはなるかもしれない。
ここ最近、まともな休日を過ごしていなかった。
アリスはすぐに顔を上げて、ビバルディに微笑み「分かったわ」と返事をした。

「わらわはお前の手料理が食べたいのだが、いいか?」
「私の手料理?それはもちろん構わないけど……普段はどうしてるの?」

ビバルディが料理をするなんて想像がつかないけど。
あぁでもビバルディがどこに住んでるとか、誰と住んでるのかも知らない。
本当にお邪魔してもいいのかと思い始めた所で、ビバルディは「それがいつも外食なのだ」と飽き飽きしたような表情で言う。

「我が家には、料理を出来る人間がおらぬのでな」
「……ビバルディが家事をする様子は、確かに想像がつかないかも」
「弟と二人暮らしでな。案外潔癖症なのか掃除や洗濯は奴がしているのだが、さすがに料理はせん」
「弟さんがいるのね――って、それお邪魔してもいいの?」
「もちろん構わぬ。姉であるわらわの方が偉いのだ。姉弟揃って外食には飽き飽きしておってな、お前の手料理が食べたい」

私の手料理が食べたいのはビバルディだけでしょ。
そんな思いを苦笑と共に飲み込んで、アリスは「美味しい夕飯を作るわね」と言った。

「あぁ、弟の分も構わぬか?手間なら席を外させるが」
「大丈夫よ。二人も三人も構わないし、それにビバルディの弟さんにも興味あるしね」
「――自慢、とまではいかぬが、可愛い弟ではあるよ。愚かで情けないと何度思ったが知れぬが、それでも手を貸してやりたいと思うほどには可愛い」
「ふふ、弟想いなのね」

意外だわ。

アリスがそう笑うと、ビバルディも笑って「そうであろう?」と言う。



「わらわは、気の利く優しい姉なのだ」



口元に手を当てて、そう言って笑うビバルディはいっそ怖いほど美しかった。



あれもこれも絡んで溺れて沈む

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すべては姉の手のひらの上

2015.10.08