「これがいい」
「……値段を見なさい。この馬鹿犬」
「ダブルなど嫌に決まっているだろう。狭い」
「だからってキングサイズは無いわ!!予算オーバーです!!!」

あと部屋!そんなに広くないんだから!!

「やはり広いベッドはいいな」と展示品でごろごろするブラッドの頭を叩きながら、アリスはもう一度値段を見て盛大に溜息を吐く。


「ねぇブラッド。せめてクイーンサイズにしましょう?別にお互い寝相は悪くないんだし……」
「じゃあ本棚も買っていいか?」
「ちょっと待って。じゃあって何?」

ふらふら〜っと書棚コーナーへ吸い込まれるように歩き始めたブラッドを、アリスは追いかけその首根っこを掴んだ。
もう本当そのうち首輪とか買わなきゃいけないんじゃないかしら。
鎖?鎖つける?

「もう!」とブラッドの服を引っ張りながら、犬の世話も中々大変だとアリスは再度来た道を戻る。

「ベッドが先よ。自分が選ぶって言ったんじゃない!」
「だからあれがいいと――」
「もう一個下のにして!!!」

悲鳴を上げるアリスに今度はブラッドが溜息を吐く。
その姿に「貧乏人で悪かったわね!」と声を張り上げると、ブラッドは渋々クイーンサイズのベッドを見て回る。


「君はどれでもいいのか?」
「……あまり拘りないもの。分からないから決めちゃって」
「――ではこれにする。マットはこっちのがいい」

ぽんぽんとベッドを叩きながら即決したブラッドは、「あとは任せた」と言って本棚の方へと歩いて行く。
ベッドより本棚の方が大事なのかと、半ば呆れながらアリスは店員を呼んで購入手続きを進めた。



ベッドが来るまでには二週間ほどかかるらしく、注文用紙に住所を書き込みながらアリスは思案する。
もうなんか一周回って自分は一体何を買っているんだろうと思うのだが、あまり深く考えすぎると多分結構よろしくない。
常日頃から馬鹿犬、駄犬と罵ってはいるが、あれも一応人間の男である。
そんな奴と一緒に寝るベッドを、何故アリスはこうほいほいと買っているのか。
そもそも一緒に寝るのが前提な時点でおかしいし、いやいやそれよりも一緒に寝ることに関して慣れてしまっている自分が一番おかしい。

先にブラッドが寝ていることもあれば、アリスが寝ていることもある。
お互いそれを気にもせず普通にベッドに入り込むようになってしまったし、「そろそろ寝ましょうか」なんて言って一緒に布団に入ったりもする。

うん、やっぱりおかしい。
どう考えてもおかしい。
ブラッドの思考回路は元々おかしいが、慣れてきている自分も大概なレベルだ。

アリスは自分の順応力を今ほど呪ったことはない。
ブラッドを拾った瞬間から、アリスの日常が常識から離れていく。
こんなはずじゃなかった。こんな予定じゃなかった。
22歳にして高校生の子持ちになった気分。
あぁ何か姉さんの気持ちが分かってきたかも。
私あんなに我が儘な子じゃなかったはずだけど、やっぱり人の世話って大変だわ。

それをいつも笑顔で、嫌そうな顔一つせず行っていた姉には脱帽する。
どこまで行っても完璧な人だ。
あんな人、きっと世界中探したって姉さんしかいない。


ブラッドを世話することで、姉さんになりたい≠フだろうかとアリスは思った。
姉さんのようになりたい。
姉さんのように生きたい。
アリスはいつも姉を憧れにして生きていたから、ブラッドに対してもそう在ろうとしているのかもしれない。

―――――と、そこまで考えて、アリスは注文用紙を書く手を止めた。


(……違うわ。私は私)


姉さんはアリスを殴ったりしなかった。
口汚い言葉で罵ることもしなかったし、穏やかで優しく、気性が荒くて優しくないアリスとは違う。

私が拾った黒犬。
私のペット。
私が飼って育てている。
ブラッドは、姉さんに会ったことはない。


注文用紙を書く手を再開させて、(駄目だなぁ)と自嘲しながらアリスは苦笑した。
何かにつけて姉さんを思い出すのは悪い癖だ。
姉さんと自分をいつも比べて、自分が姉さんに勝てる所など何一つとしてないというのに、比べずにはいられない。
今はもう亡き、アリスの愛した姉。
死んでも彼女の影に囚われているアリスは、過去から逃れられず死者を冒涜して生きているのだ。
あんなに大好きだったのに。愛していたのに。
今でもそうなのに、アリスは姉との美しい思い出を、いつも悲観しながら思い出している。
比べるだけ比べていつも自己嫌悪。これを冒涜と言わずに何という。


ブラッドとアリスは、実は似ている所があるのだと気付いたのは最近だ。
自分たちは独りぼっち℃りに誰もいない人間だ。
まぁ、ブラッドは自分と違って女性の家を転々としていたというくらいだから、彼自身は魅力の高い人間なのだろう。
そこはアリスと違う。

きっと、アリスの方が、救いようがない。



「アリス。本棚」
「―――ん……三つも買うの?」

一個だけだと思ったのに……

だがその購入カードを、アリスは何も言わずレジに並べた。
結局持ってきていた現金では足りないので、カードを切ることにする。
そして――その様子を後ろから見ていたブラッドは思わず首を傾げた。
てっきりまた何か言われると思っていたのに、彼女はどこかぼうっとしてさっさと会計を済ましてしまう。

「――――――」

どうかしたか?と聞こうとして、ブラッドは聞けなかった。
彼女の機嫌に、感情に、思考に、踏み込む義理もなければ、そんな面倒を背負う気もないブラッドには到底聞けない。

それがブラッドとアリスの距離感。
遠い距離だとブラッドは思う。
でもそれが好ましかった自分もいた。
面倒事は嫌いだから、踏み込みたくない。

でもこんなアリスの横顔を見るのも嫌だと思った。
歩き出す、彼女の小さな肩を見るのも嫌。
嫌だと思う時点できっと距離感など曖昧で、彼女をどうでもいいと思えなくなっている自分自身に、ブラッドは気付いていない。


「アリス―――」

職場で使うからと、小さな小物入れを眺めていたアリスに声をかける。
「ん?」と振り返った彼女の目を見つめながら、「どうかしたか?」と先ほど言えなかった言葉をかければ、彼女はきょとんとした表情で小首を傾げた。

「どうかしたって?」
「……元気がないように見える」
「……そう?体調は悪くないわよ」

ベッド届くの二週間後ですって。楽しみね。

そう言って笑う彼女の――妙な強がりにブラッドは眉を顰めた。


『子どもの内に甘え方を覚えないと、私みたいな人間になっちゃうわよ。可愛くない子になるわ』


寝ぼけていた――アリスの言葉が脳裏に響く。
確かに……可愛くない。
自分が子どもで彼女が大人だから甘えてくれないのではない。
彼女は彼女が言った通り、甘え方を知らないのだ。

小物入れを手にとって真剣に眺めるアリスの背後から、ブラッドは腰を抱いてその後頭部に顎を乗せた。
自分と彼女の身長差は中々絶妙で、ブラッドが気に入っている体勢の一つ。
だが腰――というか腹にまで手を伸ばして抱きしめるようにした形にしたのは、今回が初めて。

「ブラッド?」

どうしたのよ一体。今日は貴方の方がおかしいわ。

そうしれっと言い放ちながら、人の手をぎゅうううっと抓ってくる彼女は本当に可愛くない。
「痛いだろう」と抗議すると、「セクハラよ」と返ってくる。
「私は犬なんだろう?」と聞けば、彼女が黙り込んでしまうのは一種の流れだ。


「君が―――甘えないのが悪い」
「……甘える?」
「私という人間がいるのに、君は一人で抱え込むから――」

それとも、私では頼りないか?
相談しろとは言わないが、話くらい聞くぞ?

ブラッドの言葉に、アリスは目を見開いて言った本人を凝視した。
両者不干渉の距離感が一気に曖昧になって、アリスは目を瞬く。


「………なんだその顔は」
「いや―――なんか、意外で」

あと貴方は――――犬だわ。

よく回っていない思考回路でそれだけ告げると、ブラッドは苦虫を噛み潰したような顔をした。
それに慌てたのはアリスで、失敗したと彼女は言葉を続ける。


「ち、ちが…っ、いや、違わないけど、違わないけど」
「……………」
「ごめんなさい、びっくりしたから」
「……はぁ、犬でもなんでもいいから、話くらいしたらどうだ?」

そんな顔をするくらいだ。
口に出した方が楽になるに決まっている。

頬を撫でられて、アリスはびくりと震える。
ブラッドから目が離せなくて、アリスは待て待て待て待てと自分の心を叱咤した。


安い……安すぎるわ私!


駄犬だ何だと罵っていても相手は紛う事なき美青年。
そんな男にそんな風に言われて、頭など撫でられたらどきりとする。
が、どきりとした自分を「何て安い女」なんだと、アリスは自分自身に愕然とした。
多少メンクイな部分があるとはいえ、五つも下の未成年に一瞬ときめくとか何だかこう――口惜しい。


「――で?何を考えていたんだ?」

ブラッドの問いかけに、アリスは再度びくりと肩を震わせた。

駄目だ駄目だ。思考が飛んでた。
え?私何考えてた?何考えてたっけ?

ぐるぐるぐるぐる――思考が回る。
腰に回された手があまりに大きくて、くっついた背中があまりに温かくて、アリスの思考がぐるぐる回る。
相談ってどうするの?
愚痴ってどうやって吐くの?
アリスは知らない。
思ったことを、思ったように言えないまま育ってきたから。
初恋の人には良い子可愛い子に思われたくて、そう振る舞ってきた。
身内の姉にさえ、心配かけないようにと聞き分けのいい妹を演じてきた。
だからアリスは知らない。

アリスは――自分の出し方を知らない。

アリスも今まで出してこなかった。
それより何より、アリスに近しい人が誰もいなくて――

いつも独り≠セった自分に、そんなことを言う人がいなかったから。



「―――泣きそうな顔をしているが?」
「……気のせいよ」

労ってくれるのなら、お昼ご飯奢りなさい。
あんたのお小遣いで。

ブラッドから視線を逸らしながら、アリスは手に持っていた小物入れを棚へと戻した。
なるほど。この男がモテる理由がよく分かる。
こんなのが近くにいて、甘言でも囁かれようものならぐらりときて当然だ。
それにアリスが踏みとどまっていられるのは、生真面目な性格に加えて常識と倫理観、そして一緒に過ごした四ヶ月の日々。
アリスは何も、ブラッドの顔が気に入っているわけじゃない。セックスだってしたことがないし、彼が今まで手を出していたという女とは違う。
だからこそ見ているものが違うし、横暴で横柄で、我が儘で自分勝手で人の言うこと聞かないし金遣いも荒くて日がな一日ベッドでごろごろごろごろ……

そんな、どうしようもないほどぐうたらで情けない男というのがアリスの認識。
でも案外努力家で、気を許した相手にはどことなく甘くて、構ってもらえないと拗ねるような――可愛い子どもだった。

泣きそうな顔をしている?
あぁ、その通りだとも。
自分を案じてくれたことを喜べばいいのか、飼い犬が懐いてくれたことを喜べばいいのか、ちゃんとこうして関係を築けていることを喜べばいいのか、アリスにはいまいちよく分からない。
ただ今の感情を言い表すなら喜びだ。

よく分からないけど嬉しくて、年甲斐もなくアリスは泣きそうだった。



「……昼を奢れば元気になるのか?」
「心配しなくても、元々元気よ。結構お金かかったなって思ってただけ」

お昼はあそこがいいわ。大通りにできた新しいお店。

そう言ってすたすたと店を出ようとするアリスの後ろ姿を見ながら、ブラッドは小さく溜息を吐いた。
結局アリスが何を考えていたのかは分からず仕舞いだし、慣れないことをしたせいで若干居心地が悪い。
だがそれでも、多少なりとも彼女の機嫌が上向いたのは良かったと思う。
自分の行動で彼女が機嫌を損ねることがあっても、機嫌を良くすることは少ない。

「早く早く」と振り返ってブラッドを呼ぶアリスの表情は、先ほどよりも明るい。
その表情にブラッドが抱いた感情は安堵。
それを抱いた時点で、ブラッドとアリスの距離は縮まっていた。



諦め上手な君の嘘

material from Quartz | title from 模倣坂心中 | design from drew

ニ○リに行って思いついたお話。ちょっとずつ距離が縮まる感じ、ちゃんと書けてるかなぁ……

2015.09.07