休憩にしましょうと――机一杯に並べられたケーキを見て、アリスは思わず「すごい」と歓声を上げた。
上司の奢りだというそれは沢山の種類があり、家族に持ち帰っても良いかと尋ねる同僚の声を聞きながら、アリスは自分も持って帰ろうかと思案する。

(でもブラッドは、あんまり甘いの好きじゃないかしら)

好んで食べているような場面は見たことがない。
お菓子自体が嫌いなわけではないようだが、甘過ぎたり摂取し過ぎるのは苦手なのだろう。

そう言えば―――と思って卓上のカレンダーに視線を向ける。
ブラッドが我が家に居着いてもう四ヶ月。
来週のこの曜日は、彼の誕生日だった。





お祝い、してあげなきゃ駄目よね?

少なくとも、誕生日はお祝いするものだという認識はある。
若干の機能不全が入っていたアリスの家庭でも、誕生日のお祝いが欠かされたことはない。
姉が亡くなって初めて迎えた誕生日も、当時はまだあの家にいたが祝って貰った記憶がある。
和気藹々とした祝いじゃなかったが、妹が買ってきてくれたのかケーキが一個テーブルの上に乗っていた。
アリスの妹も、アリスと同じくらい頑固で強情で素直になるのが苦手。そして同じくらい姉が好きだった。
アリスと妹は、きっとよく似ていたのだ。
だからこそ、余計に馬が合わなかったのだと思う。

「……ケーキは、買うより作った方が良さそうね」

夕飯の材料と、ケーキの材料をカゴに入れてレジへと向かう。
今日はブラッドの誕生日ということで、アリスは多分人生で初めて有給を取った。
ここ一週間ほどどうお祝いしようか悩んだが、彼の好みが分からない以上好物を作ってやることしか思い浮かばなかった結果がコレ。
真っ昼間からスーパーで買い物をして、帰ったら速攻ケーキ作りだ。
ブラッドは真面目に学校へ行っているし、彼が帰ってくるまでには全部仕上げておきたい。
別に驚かせたいわけではないけれど、多少なりとも喜んでもらえればいいと、アリスは苦笑気味に顔を綻ばせる。

最近はよく喋るし、時々だがチェスをして遊ぶくらいにはコミュニケーションが取れるようになった。
食事もしっかり家で取るし、昼はお弁当だって持って行く。
時々無断外泊をするのが気になるが、それは年頃の男子学生だし、そこまで過干渉なのもどうかと思って放置している。
少なくとも我が家のルールに則って、適度な距離感で生活してくれるのなら問題はない。

アリスは飼い始めたペットを気に入り始めていた。
慣れもあるだろうが、賢い分話すのも面白い。
お互い読書が趣味なので気に入った本を薦め合うこともできるし、家で仕事をしている時、行き詰まっていたら助言してくれる程度には懐いてくれている。
こんな関係が築けるなら、中々悪くないなと思った矢先の誕生日だ。
やはり祝わないと駄目だろう。



家に帰り着いたアリスは、さっそく準備に取りかかる。
先に作るのはもちろんケーキだ。
一番小さいサイズの型も買ってきたし、これくらいのホールケーキなら、二人で三日もあれば食べられるはずだ。
甘さを控えることも忘れずに、アリスは手際よくケーキを作っていく。
実はこの日のために、ちょっといい茶葉も購入しておいたのだ。
ブラッドの好みが分からない以上誕生日プレゼントなんてものは買えないので、大好物の紅茶でそれをカバーする。
何か物が欲しいというのなら、今度の休日にでも一緒に買い物に行けばいい。
そう言えば、二人で出かけたことはまだないなと思いながら、アリスはオーブンの電源を押す。

焼き上がるまでの時間、アリスは朝干しておいた布団を取り入れ始めた。
太陽の匂いが気持ちの良いシーツを畳みながら、ブラッドに一個部屋を作った方がいいだろうかと部屋を見渡す。
彼が寝る所と言えば、リビングのソファか寝室のソファ。
時々床に寝転がっている時もあるし、まだこの家に居るというのなら彼の部屋も作った方がいいかもしれない。
そしたらベッドを買って、あぁ多分本棚も欲しがるだろうから、一度ホームセンターに行くべきか。

幸いなことに、アリスが暮らしている部屋は広い。
一人暮らしをするには広いという程度だが、アリスの仕事部屋を潰せばブラッドの寝室くらいいつでも作れるのだ。
その仕事部屋だって、そんなに物があるわけじゃない。
片付けの得意なアリスが、自分の寝室に全て収納できると思えるほどの荷物があるだけ。
アリスが仕事に行っている間、彼が自分のベッドで昼寝をしているというのは知っていた。もちろん許可もしてある。
やはり毎日ソファでは、疲れも満足に取れないだろう。
それに四ヶ月経って気付くのだから、私も大分酷い飼い主かもしれない。


「ベッドって…いくらくらいしたかしら」

自身のベッドがいくらだったかなんて覚えてないが、でもまぁ仰天するほど高くはなかったはずだ。

そんなことを考えている間に、ケーキの焼き上がる音がする。
慌ててキッチンへと走りそれを取り出せば、中々良い色に焼き上がったスポンジケーキが顔を出した。
それを冷ましている間に生クリーム作りへ。
フルーツは既に切ってある。無難にイチゴだ。
尤も、アリスが好きなだけなのだが。



アリスがそうしてキッチンで奮闘している間に、外は赤らみ日が落ち始める。
そうしてそろそろ夜になろうかという所で、アリスの仕事は終了した。
ブラッドの好きなものばかりで埋め尽くした夕食に、甘さを控えめにしたバースデイケーキ。
こんなに真面目に料理をしたのは初めてだと、アリスは満足気に息を吐く。

あとはブラッドが帰ってきたらお祝いしよう。

犬が帰ってくるまでの間、アリスは上機嫌で読みかけの本を開いた。















ホテルの一室で――煙草をふかし、酒を煽りながらブラッドは欠伸をした。

「これ、プレゼント」

そう言って上品な包みを渡してくる女に笑みを向けながら口付けると、女は満足そうに笑って自身の首へと絡みついてくる。
全く、欠伸が出るほど退屈な行為だと――女の衣服を剥ぎながらブラッドは思った。
いや退屈ではないな。暇つぶしにはなる。
おまけに金にもなると誕生日プレゼントとやらに視線を向ければ、「貴方が欲しがってたモノよ」と女が笑う。
一体自分が何が欲しいとこの女に言ったのかは忘れたが、多分悪い物ではないはずだ。
誕生日というものは、中々便利な日だとブラッドは思う。
何かを強請るには丁度良い口実だし、誰も彼もが大体の我が儘を受け入れてくれる。
利用しがいのある今日という日が、ブラッドはそれほど嫌いじゃない。


ブラッドが生まれてきたという日を、至極まっとうに、純粋に祝ってくれていた人間はもういない。
ふわりと微笑んで、自身が世話をしていた薔薇を持ってきてくれた少女。
穏やかで、優しく、ちゃんと一本芯を持った、しっかり者の姉。
ブラッドの後悔。
ブラッドの生きる理由。
幼くして死んだ、唯一無二の自分の姉。

彼女だけがブラッド=デュプレという人間を見ていた。
彼女だけがブラッド=デュプレという人間を知っていた。
ブラッドのためを思って、笑い、泣き、喜び、悲しみ、慈しんでいたのは彼女だけ。
ブラッド=デュプレという存在を、ちゃんと認めてくれたのは彼女だけだった。

だから彼女がいなくなった時、きっとその弟もどこかに行ってしまったのだ。
だから今日という誕生日を、ブラッドは自分のことだと思えない。
便利な日という認識だけで、祝われたいとも思わなければ、祝われた所でどうだという話だ。


適当に性を発散させた男は、ベッドに女を放置してソファに腰掛ける。
一流のホテル。
置いてある酒も中々上等で、これを機に全て試してみようかと思いながら煙草に火をつけた。
既に日付は変わっている。
今日はもう、ブラッドの誕生日ではない。
だがそれをどうこう思うブラッドではなかった。
自身の誕生日など欠片も興味がなくて、数人の女に貰ったプレゼントという名の宝石、時計、現金を眺めて笑う。



悪くない収穫だったな、と―――
制服に着替えて朝帰りした男が今の仮宿に帰りつくと、家主は既に仕事へ向かった後だった。
これで彼女が休みだったらまた小言を言われていた所だったと、彼女の不在を安心した所でリビングに入る。

整理整頓された室内。
ブラッドがこうして無断外泊するのは珍しいことではないし、それに関して家主は全く干渉してこない。
ただ朝帰ってきているというのは理解しているらしく、いつも朝食とお弁当が用意されている。
しっかりしているというか生真面目というか、中々に甲斐甲斐しい家主がブラッドは嫌いじゃなかった。
それが用意されていると分かっているからこそ、ブラッドは何も食べず帰ってくる。
正直、外で食べるより家主の手料理の方が口に合った。

制服の上着をソファに脱ぎ捨てて、ひょいっとキッチンを覗く。
と――そこでブラッドは気付いた。
いつもは置いてある朝食とお弁当が――――無い。
作り忘れたか、作り損ねたか、それでもそこに目当てのものがないことに対して、ブラッドは眉を顰める。
期待していただけ落胆が激しく、苛立ちを覚えたブラッドだったが、無いものは仕方が無いと他に食べるものを探すことにした。
と言っても、料理はしたことがないので求めているのは既製品。
いっそ昨日の夕飯の残りでもいい。
買いに行くのは面倒だしなと思い冷蔵庫を開けると――


中を見て、ブラッドは唖然とした。





□■□





日付が変わっても、アリスはブラッドを待っていた。
いつ帰ってくるか分からないから、帰ってきたら、おめでとうって言ってあげないと。
だって朝言えなかったしと……アリスはブラッドを待っていた。

あの犬がふらりと出て行ってふらりと次の日帰ってくるのは珍しいことじゃない。
それがたまたま今日だったのは、ただ運が悪かっただけ。
アリスもブラッドに「いつ帰ってくるの?」とか、「今日はこういう用意をしてるからね」とか、言わなかったから悪い。

失敗したなぁとアリスは思った。
コミュニケーションは大分取れていると思っていたが、まさかこういうすれ違いが起きるとは思わなかった。
でも「いつ帰ってくるの?」なんて、帰ってくることを強要するみたいで言いたくなかったというのもある。
アリスは飼い主でブラッドは犬だが、そこそこ自由に居て欲しい。
お金やお互いに関する節度ある態度を守っているのなら、何をしてもいいというルール。
それを覆す気など、アリスにはない。

だが今回は、失敗したなぁと思う。

冷め切った料理を一口含んで、「おいし」とアリスは呟いた。
少なからず落胆した心を叱咤して、アリスはお風呂に入る準備をする。
この時点で時刻は午前3時を過ぎていた。
徹夜とかいう次元じゃない。明日仕事に行くのが億劫だと、アリスは風呂場で船を漕ぐ。
落胆した心ではなく、今度は眠気を叱咤しながら風呂を出て、髪を乾かしながら食卓の上を片付け始めた。
明日食べれば問題ないと、全て冷蔵庫に詰め込んでしまう。
今から寝たら多分起きられない。
そのままアリスはスーツを着て、白んできた空を尻目に職場へと向かった。
食欲が湧かないまま、昨夜の夕食と今朝の朝食をスルーして明け方の街並みを歩く。


あ、ブラッドのご飯作るの忘れた。


一度足を止めたが――また再度歩き始める。
今日一日くらい、別にいいだろう。





がくん!という衝撃と共に、アリスはぱちりと目を覚ました。

やばい。寝てた……

職場のデスクで、時計を見ながらアリスは溜息を吐く。
同僚から「顔色が悪いわよ?」と心配され――(もう休んじゃおうかな)とアリスはデスクに突っ伏して欠伸をした。
一度顔を洗おうかと席を立つと、タイミング良く「今日はもう帰れ」と上司から声をかけられる。

「昨日も本当は、体調が悪くて休んでいたんだろう。君は働き過ぎなんだ。帰ってゆっくり休みなさい」
「……すみません」

ごめんなさい、寝不足なだけなんです。
常日頃から真面目に働いているアリスは、こういう所で得をする。
心配そうな顔をする上司に頭を下げながら、アリスは午後からの有給を勝ち取ってしまった。
二日続けて有給。
今までからいうと考えられない出来事だ。
上司の言う通り、アリスは働き過ぎている。





□■□





冷蔵庫に入っていたものを、ブラッドは全て食卓の上に並べてみた。
もちろん、二人分。
あまりに豪勢なそれらは全てブラッドの好きな物で埋め尽くされており、明らかに手作りであるケーキには、ご丁寧に「Happy Birthday」とまで書かれているのだからバツが悪い。

―――アリスはブラッドの誕生日など、知らないと思っていた。
教えたこともないはずだし、祝われるなど微塵も考えていなかった。
朝だって彼女は何も言わなかったし、いつも通り「遅刻するわよ!」と叩き起こされて家を追い出されたのはブラッドの方。
ブラッドには、アリスの休みのサイクルなど分からない。
三日に一度休みになるかと思えば、一週間以上も仕事へ行ってようやく休みということもある。
だがこの豪勢な食事を見ると、きっと彼女はわざわざ休みを取っていたのだろう。
ブラッドの誕生日が偶然彼女の休みに重なるなど、それはあまりに考えにくい。

「――――――」

アリスがもし朝の時点で、例えば「今日はお祝いしましょうね」とか、そんな言葉をブラッドに掛けていたら、自分は外泊しなかっただろうかと考える。
……多分、しなかっただろう。
少なくとも日付が変わる前には帰ってきていたはずだ。
ならばそうブラッドに声をかけなかったアリスの自業自得だというのだろうか。
いや、それは違う。
何も告げずに好き勝手している自分も悪い。

アリスはブラッドに何も聞かないし、行動を強制することもない。
例の金銭関係は別にして、だ。
干渉されることを望まないブラッドには丁度良い距離感。
アリスがブラッドに何かを求めたことはないし、炊事洗濯黙って世話をしてくれる。
此方が何もしなくても、だ。
都合の良い存在――と言ってしまえばそれまでで、でもそんな女は今までいなかったから、ブラッドは扱いに困っている。
人の好意なんて文字にすれば気持ち悪いが、向けられて悪い気分がするほどでもない。

彼女はいつまでブラッドを待っていたのだろうか。
それを鑑みずに、朝食がないだとかお弁当がないだとか、そんなことで苛立った自分が途端に恥ずかしくなった。
あまりのガキ臭さに吐き気がして、ブラッドは顔を顰める。

戸棚には見覚えのない茶葉まであったのだ。
昨日貰った宝石、時計、現金、そのどれよりもブラッドが好きなもの。
彼女らより――アリスの方がブラッドの好みを知っている。



「……ブラッド?」

ふいに声が聞こえ、はっと振り返るとそこにはアリスが立っていた。
「帰ってきてたのね、おかえり」と言う彼女の顔色は悪く、体調が悪いのかと思わず駆け寄る。

「アリス――」

上着を脱ぐ彼女に近寄ると、アリスは不思議そうな顔をして「どうしたの?……って、あんた学校は?」と途端に眉を顰めお小言を言う雰囲気に様変わりした。

「さぼっちゃ駄目じゃない」
「―――――」
「もう……あ、もしかしてお弁当がなかったから?ごめんなさい、今日作り忘れてて―――」

ふっとブラッドから視線を逸らしたアリスの目に、食卓テーブルが映る。
昨日片付けたはずなのに――と思いながらブラッドを見ると、彼は黙ってアリスの前に立ち尽くしていた。



「……どうしたのよ。そんな顔して」
「………………」
「またえらく綺麗に並べたわね。いいのに気にしなくても」

力なく笑うアリスの顔色は悪い。
そう、彼女は寝不足なのだ。
だがブラッドはそんなことを知らない。

「昨日の残りで悪いけど、今日の夕飯にしましょ。とりあえず一回冷蔵庫に戻して―――」

ブラッドは何も言わない。言えない。
何と言っていいか分からない。
こんな事態の対処の仕方を、少年は知らなかった。
いくら女の扱いに長けていようとも、こんなのは知らない。

「あぁ――――そうだ」

くるりとアリスが振り返る。
ブラッドと目が合って、にっこりと微笑む彼女の姿には見覚えがあった。


「誕生日、おめでとう。ブラッド」


『はい――ブラッド。誕生日おめでとう』


薔薇を差し出す―――姉の姿が被る。

彼女だけがブラッド=デュプレという人間を見ていた。
彼女だけがブラッド=デュプレという人間を知っていた。
ブラッドのためを思って、笑い、泣き、喜び、悲しみ、慈しんでいたのは彼女だけ。
ブラッド=デュプレという存在を、ちゃんと認めてくれたのは彼女だけだった。

その彼女と――似ても似つかない容姿で、格好で、同じように笑う女が、ブラッドの目の前にいる。


「一日遅れちゃったけどね」

ブラッドより五つ上。いや、一個年を取ったから四つ上。
ブラッドを責めもせず、泣き言も恨み言も言わない彼女は大人だった。
下らないことで苛立ちを覚え、どうしていいか分からず黙って突っ立っている自分は子どもだった。


口惜しい――――


ブラッドが思わず並べた皿達を、せっせと冷蔵庫に片付け直すアリスを見て、拳を握りしめる。
アリスのような女は初めてだった。
いっそ訳が分からないからと切り捨てることもできたが、時折ちらつく姉の姿が――切り捨てるなと言っている。



「――――アリス」

振り向くアリスに、ブラッドは一瞬迷って口を開いた。

すまないとは言えない。
謝ることではない。
そもそも申し訳ないなど思っていないし、悪いことをしたとは―――まぁ思っているかもしれないが認めたくない。
プライドの高いブラッドは、他人に屈するということを知らない。
だから―――――


「次から――出かける時は、メモを置いていくようにする」

「そう?それは助かるわ」


そう言って笑ったアリスは、今まで見てきた人間の誰よりも綺麗だった。



うつくしい他人

material from Quartz | title from 模倣坂心中 | design from drew

アリスは大人でブラッドは子ども。

2015.09.05