「アリスね!おおきくなったら、ブラッドのおよめさんになるの!!」

大きな水色の瞳を輝かせ、両手拳を握りしめながら元気はつらつと言った少女に、言われた青年は頭から雷を打たれたかのような衝撃を受けた。

ブラッド=デュプレ 20歳
アリス=リデル 10歳

たまたま近所に住んでいた、読書の好きな女の子。
不在がちな少女の両親に頼まれ自身の姉がよく面倒を見ていた少女だったが、 中々利発で賢く、紅茶がストレートで飲めないのが気になる所だったがブラッドにとっても見知った存在ではあった。
いつだったがたまたま姉が急用で(どうせ男)家を空けなければならず、必然的に面倒事がブラッドに回ってきた事があり、そこで面倒を見て以来少女はブラッドの茶飲み友達となっている。
お茶を飲んで談笑することもあれば(と言ってもほぼアリスが喋りっぱなし)二人で本の虫になることもある。

ブラッドにとってはその程度の関係。

どちらにせよ普段から面倒は姉が見ていたし、アリスもブラッドといるよりはビバルディと過ごすことを好んでいた。

だが時間とは不思議なもので、ブラッドは少女に、少女はブラッドに、慣れもすれば懐きもする。
普段一緒に暮らしているのが魔女のような女であるからこそブラッドは少女に癒やされたし、手頃な女を食って捨ててを繰り返し、だるい退屈だと無気力だったブラッドに、無垢な少女の存在は珍しく思えて貴重だった。

対して少女――アリスにとってブラッドは、最初恐怖の対象だったと言える。
幼い少女にとって大きな男の人というのは無意識に怖いもので、特にブラッドのように端整な顔立ちの人は殊更に怖かった。
いつも何を考えているか分からないし、ビバルディとの口論も難しい言葉ばかりで、アリスにとってブラッドは近寄りたくない人だったと言える。
が、ある時一日だけ、ブラッドと二人きりで過ごしたのがアリスにとっての転機だった。

ビバルディがいなくて困ったような顔をしたブラッドの、そんな表情を見たのは初めてで、沢山本のある部屋に入れてもらったのも初めて。
出された飲み物は苦かったけど、一緒に出してくれたお菓子はとても美味しかった。

思ったより優しい人だった。
怒らなかったし、微笑んでくれた。
ブラッドを見る目が変わったのは、この日からだったと思う。

アリスはブラッドに懐いた。
本を読んでくれる、優しくて格好良いお兄さんに。


「アリス、おおきくなったら、ブラッドのおよめさんになる」

二回目。
言わずにはいられなかった二回目。
きょとんとした感じの――ブラッドの表情を見ていられなくて二回目。


「およめさんになる」

三回目の言葉はほとんど呟きだった。
そうである。そうでありたい。そうなってみせる、決意。

アリスはブラッドが大好きだった。
幼いながらに大好きで、ずっと一緒にいたかった。
一緒にご本を読んで、お茶を飲んで、お昼寝して…そんな毎日が良かった。
もちろんビバルディも一緒に。
アリスはここのお家の子どもになりたかった。
そうなるためには、ブラッドのお嫁さんになるしかないと、アリスの小さな脳が叩き出した精一杯の結論。

ずっと一緒にいたい。

ただそれだけ。



そんな懸命な少女の言葉に、心臓を射貫かれたのはブラッド。
犯罪か犯罪じゃないかと問われれば間違いなく犯罪なのだが、手を出すわけじゃないのでセーフだと思いたい。思ってる。
一時停止状態の最中でも頭をフル回転させているブラッドの向かいで、ビバルディがお茶を噴き出したことさえ彼の頭には入ってこない。
たかが10歳。されど10歳。
5年たてば15歳だし10年たてば20歳になる。

そう時間さえたてばいいのだ。早く進めハイスピードで。
止まることなく急速に。

止まるのは、少女のブラッドに対する想いだけでいい。
自分のものにする。決めた。今決めた。誰がなんと言おうと罵られようと今決めた。
決定事項。そう例え今この瞬間姉にドン引きされていようとも、だ。


「――…では、私は良い旦那さんになるよ」
「!!ほんと!?」
「あぁもちろんだ。約束しよう」

嬉しい!!

はしゃぐアリスにビバルディは顔面蒼白だった。
今この瞬間道を踏み外した弟と、完全に囚われてしまった少女の行く末があまりに不憫で思考回路がショートしかけている。
待て待て落ち着け。
ビバルディには弟を罵倒すればいいのか、少女を引き離せばいいのか正直判断しかねている。
というかこんなことで悩みたくない。
女癖が悪く手当たり次第なのも正直どうかと思っていたが、まさか幼児趣味に走ってしまうなんて誰が想像できたか…
いや、5年たてば15歳だし10年たてば20歳になる。

そう時間さえたてばいいのだ。早く進めハイスピードで。
止まることなく急速に。

自分が弟と全く同じことを考えているなど、ビバルディには想像もつかない。
分かっているのはこの現状が非常にまずい、まず過ぎるということだけで、かといって打開策も何もないし正直関わりたくも無い。

「………アリス。ケーキが残っているよ?食べるか?」
「!…たべるっ」

かたりとソファから立ち上がり台所へと向かう。
ビバルディは考えることを辞めた。

















と――――時がたつのは早いもので、あの衝撃的な日から早6年。
姉弟の望む通り時間はたった。

アリスはもうじき高校2年になろうとしている。
ブラッドは四捨五入すれば30の年だがそれは置いておこう。
中身も外見も、彼は6年前から何一つ変わっていない。

もちろん少女への執着も―――



「こんにちは、ブラッド」
「やぁ、お嬢さん。今日は姉貴と約束が?」
「あ…えっと、ううん……ブラッドに新しい本を借りたくて」

忙しかったかしら?

心配そうに言葉を紡ぐアリスに、ブラッドは「そんなことはない」と微笑み手を差し伸べる。
見慣れた制服姿の彼女はほっとしたように顔を綻ばせ、ブラッドに招かれるまま彼の自室へと足を踏み入れた。

「お茶を用意してくるから楽にしていなさい」と部屋を出て行ったブラッドを見送りながら、アリスはソファの上に鞄を置いて本棚を物色し始める。
少し配置が変わっているだとか、新しい本が増えてるだとか、そんな些細な変化に気付きながら本の背をなぞる。
ブラッドの部屋に入るのは割と慣れた行為だが、 それでも少しドキドキと胸が高鳴るのは、アリスがブラッドを意識し過ぎているからだろうかと胸元を押さえた。



アリスは16歳になった。
それなりに年頃の女の子であるし、学校も共学なので恋の話も話題に上がる。
誰が誰を好きだとか、誰と誰が付き合い始めただとか…皆がそれぞれ青春を謳歌している中で、アリスももちろん恋をしている。

アリスの好きな人は、10も年上の大人の男性だ。

昔お世話になっていたご近所さんで、接点と言えば本を貸し借りするだけの仲。
彼の姉とはもっと頻繁に付き合いがある。
予定が合えばランチだとか、ショッピングだとか…

本当はもっと彼に会いたい。
もう少し、踏み込んだ話をしてみたいのに、臆病なアリスに出来るのは本の感想を述べ合うことだけ。
学校でこんなことがあっただとか、貴方は普段何をしているの?だとか…世間話程度もできないほど、アリスは恋にヤられている。

昔はもっと自由だった。子どもだったのだ。
彼の膝の上に乗ってお菓子を食べていたことが懐かしい。
思い出す度赤面モノで、彼を異性として意識し始めてからは黒歴史と言っても過言ないが、あの頃のように自由に話ができたらいいのにとアリスはいつも思っている。

彼、ブラッド=デュプレ。

将来ブラッドのお嫁さんになると言った。
彼は良い旦那さんになるよと笑ってくれた。
アリスはそれをよく覚えている。子どもらしい、細やかな思い出の一コマ。

あの頃から、きっとアリスはブラッドが好きだった。
幼くとも、異性としてはっきり意識しておらずとも、恋をしていたとアリスには言える。
大好きで、誰にもとられたくなくて、一緒にいたくて、執着にも似た思いを10歳のアリスは感じていた。
今もそれは、アリスの胸の中に残っている。

今だって―――そうだから。





「目当ての本はあったか?」
「!!」

急に、耳元で声がしてアリスはびくりと身体を震わせた。
その拍子に持っていた本を落としてしまったが「おっと」という声と同時に、それは軽々キャッチされる。

「っ、ごめんなさいブラッド!」
「いや?構わないよ。調子でも悪いのかな?お嬢さん」
「ご、ごめんなさい…ぼうっとしてたから、驚いてしまって…」

最後の方のアリスの声は掠れていた。
徐々に小さくなっていった声量にブラッドは首を傾げながらも、「お茶が入ったよ」とソファへ誘導する。

「いい香りね。ダージリン?」
「あぁ、好きだろう?」
「えぇ!大好き!」

ブラッドが自分のために、自分の好きな紅茶を淹れてくれた。
そのことが嬉しくて思わず大きな声になってしまい、アリスははっと口元を抑えておずおずとソファに腰掛ける。
向かいのソファでくつくつと笑うブラッドを見て、きっとまた子どもっぽいと思われたわとアリスは泣きたくなった。

「その本はどうだった?」
「…とても面白かったわ。最後の巻き返しが凄くて、一気に読んでしまったもの」
「その作家はそういう傾向の作品が多いな。確か…あぁこの作品も、それが気に入ったのなら気に入るだろう」
「本当?じゃあ今日借りていってもいい?」
「構わないが…3冊持って帰るのは重くないか?」
「平気よ。家なんてすぐそこだもの」

ブラッドに差し出された本をアリスは喜んで受け取る。
こまめに貸し借りした方が会える頻度は増えるのだが、勧められた本を真っ先に読みたいと思うのは恋する女子としては当然のこと。

ブラッドが勧めてくれた本。

読めばきっと、話題も広がる。

ぱらぱらと本を捲りながら紅茶を飲み、あまり長居しても迷惑かなと思って席を立てば「もう帰るのか?」といつも通りの言葉が降ってきた。

「えぇ、あまりお邪魔しても悪いから」
「…私としては、もっと君と話をしたいんだがね」

溜息を吐きながら言われた言葉に、アリスの心臓がどくりと跳ねる。
嬉しくないわけがない。だが素直じゃないアリスの口からは、「ブラッドとお話したい女性なら、外に沢山いるわよ」と可愛げのない言葉が出る。

出不精なブラッドをからかう言葉だ。
それにブラッドはモテる。
街を歩けば綺麗なお姉様方が振り返るし、告白されたとかラブレターを貰ったとか、そんな情報もビバルディから聞いていた。

本当はそれが、腸が煮えくりかえるほど嫌なくせに、嫌とは言えなくて真逆の言葉がアリスの口から突いて出る。
どこまでも可愛げの無い不器用な自分に、アリスの自己嫌悪は増すばかりだ。

「全く…つれないお嬢さんだな」
「引きこもってばかりいないで、ブラッドは外に出なきゃ駄目よ」
「…昔は私のお嫁さんになると言ってくれたくせに」
「!!?」

「な!!」と――思いも寄らぬことを言われてアリスは思わず変な声を上げてしまった。
あっと口を覆ったが、ブラッドは気にした様子もなく「言ってくれただろう?」と部屋の扉を開けながら言う。

「な、ななな、なん」
「昔はあんなに可愛かったのに、最近はつれないじゃないか」

いつ来ても本の話ばかりで、まぁ本の話は私も好きだが、たまには違う話もしたい。

「もう少し長居してくれてもいいんだぞ?」

そう言って微笑むブラッドの顔が最高に格好良くて、アリスはばっと目を背けて顔を赤らめる。
これじゃあまるで意識してますと名言しているようで、それでもブラッドを直視できないのだからアリスは殊更に恥ずかしかった。

「アリス」

唐突に名前を呼ばれて、アリスは慌てて顔を上げた。
瞬間――ちゅっと頬に柔らかい感触が降ってきて、アリスは声にならない叫び声を上げる。

「〜〜〜〜〜!!!!!!!!!」

更に赤く染まる頬。
キスされた場所をばっと片手で覆いながらブラッドを見上げると、彼はにやにやと笑みを浮かべながら「今度、食事にでも行こうか」と何でも無いことのように言った。


「16歳になったお祝いでも」
「っ、た、誕生日はこの間よ!ブラッドだってプレゼントくれて――」
「あぁ確かにお祝いしたな。姉貴と一緒に」

だが私は、君と二人でお祝いがしたいんだ。

にやりとした笑みを浮かべながら言うブラッドに、アリスの口はぱくぱくと動くだけで声がでない。
そんなのまるで口説いているようじゃないか。
そう反論してやろうかと思ったが、「そうだよ?」なんて軽口が返ってきたら立ち直れなくなるのはアリスの方なので決して言わない。

「来週の金曜日、夜空けておきなさい。学校まで迎えに行く」
「―――――」

アリスの声は出ない。
そうこうしている内に玄関口までついてしまって、鞄を手渡され靴を履く。
ちらりとブラッドを見上げると、彼はいつも通りの表情で、アリスが帰るのを見送ってくれようとしていた。

急な展開に、アリスの思考は追いついていない。
とりあえず…金曜日。来週の金曜。食事。
その単語だけがぐるぐると頭を巡っていて、「気を付けて帰りなさい」というブラッドに、アリスは小さな声で「お邪魔しました」というのが精一杯だった。









とぼとぼと一人で帰る家への道。
ぐるんぐるんと回る頭を抑えながら、「どうしよう…」と一人言葉を漏らすアリスの姿は滑稽だ。
まだ熱い頬を両手で押さえながら、残りの家路は全力疾走で帰った。



ジュリエットの空想定理

material from Quartz | title from 模倣坂心中 | design from drew

20歳で10歳の女の子に初恋を覚えるボス。

2015.08.18